霊を視るとは
人の世では形式や
形を大切にします。
目で見たり肌で触って
物を捉えるのが
肉体の認識方法の
一つだからです。
心の世を感じようとする時
肉体を持つ人は目を閉じて
心の世界へ意識を繋げます。
イメージで描いている想像の
心の世界観であってもです。
それがわかっていながらなぜ肉眼で霊を捉えようと
するのでしょうか?
見えない事を理解していながら。
目は物質を捉えて脳で映像化する事で形や色を認識しています。
質量の無い(正確にはありますが)想念や思念を
肉体の判断基準で当てはめても映る事はありません。
例えるなら空気は存在しています、ですが
空気を目で見ようとがんばっても見えないのと同じ事です。
心で想いをはせる事でだれもが心の世界を
感じているはずなのですが
霊だけはどうしても目で見たいと思ってしまうようです。
どうすれば霊が見えるようになりますか?
そんな質問が本当に多く送られてきます。
別に霊が見えるようになって欲しいと
思っているわけではありませんよ。
見えない事への不満が強すぎて
何でも良いから現れてみろよ!と
あちこちの廃墟に突入していく方がいます。
ならば日々の中で
見守る方々の想いを心で視えるようになって欲しいと思い
少し理屈を書いてみました。
センスのある方なら、これだけで
多くを察する事ができるとおもいます
視るとは、形に囚われない広き心が必要です。
枠の中から出なければ何も視えてきません^^)
合掌
浄霊師 神島千尋
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コメント
自分が霊が見えるようになりたいのは、どうしてなのか。
見えるようになったら、自分はどうしたいのか、と考えてみました。そうしましたら、見えない理由が分かるような気がしました。それ以来、見えなくてもOKと思うようになりました。
例えば、うちの子供達。恥ずかしながら、ほとんど手を掛けてあげられないまま、今に至っておりますが、それでも元気一杯に育っております。
不甲斐ない私に代わり、どれだけのご先祖様方が手を掛けて下さったのだろうと思うと、胸が一杯になりますね。
これが私なりの見え方だと感じています。
時々、目が曇ってしまい何も見えない事もありますが…(笑)
心の枠…広げられたらいいなぁ。
HN、変更しました。
今年も宜しくお願い致します。
投稿: ももすけ | 2010.01.07 17時56分
良い入り口に入りましたね^^
そう思う事が逆に
自分の霊感を
研ぎ澄ませて行く事になることを
後に知ると思います。
欲すれば離れる
ものの理とはそういうものです^^)
あなたのコメントから
すでに本来の霊感が何たるかを心で
会得している事を感じます。
そしてそれを発揮するには
不甲斐ない自分と言う気持ちを
「転じる」事で可能になると思います^^。
ももすけさま
あなたにはあなたにしか出来ない事を
子供達にしてあげている事を
気がついてください。
本心であってもなくても
言葉にすると、イメージすると
その流れが生まれるのです。
日々気になる一つ一つが
鍛えてくれていると思えば、ね^^)
参考になれば幸いです。
合掌 浄霊師 神島千尋
投稿: 神島千尋 | 2010.01.08 07時48分
神島先生のおっしゃる事は、いつも奥が深いので…。
不甲斐ない自分を「転じる」…どう転じたらいいのか、朝からコメントを何度も何度も読み返しました。ブログの「転じる」も何度も何度も読み返しました。
今頃やっと、あぁそうかと何となく分かって来たようです。
そうですね。確かに私にしか出来ない事を、子供達にしてあげて来れました。食事を作り、食べさせてあげられた事、一つとってもそうですね。
当たり前すぎて、気が付きませんでした。
心が、ふっと軽くなりました。少し自信のようなものが生まれて来たように思います。
表から裏から、違う方向から、いろんな見方が出来るようになれると
心の枠も広がっていくのかもしれませんね。
ありがとうございました。
投稿: ももすけ | 2010.01.08 21時31分