真言
何か感じたときなど
真言を唱えていますが
それだけで大丈夫でしょうか?
毎朝真言を唱えていますが他にやったほうが良い事ありますか?
と言う質問を頂く事があります。
真言を唱えるのはなぜですか?と聞くと
その殆どで答えがあいまいになります。
そして祓いや魔よけ的な返答が大半を占めます。
真言を唱えることは悪くありません
むしろ日々唱えていただいてよいと思います。
そこに自分の願いを求めて唱えるならその効果を期待するのは
やめたほうが良いと思います。
ここに一つの山があります。
斜面には断崖もあれば
少しなだらかな所もあります。
谷ももちろんありますし
険しいのぼりが難所として存在し
山頂に繋がります
その山頂から見渡すと遥か眼科に盆地が広がっております。
どちらも心であるならば
その受け皿が断崖や急な斜面では
欲するものを掴んで重ね掴んで置いてみても
安定する所を見つけられないのです。
偶然気の根に引っかかりそこに置けたとして
次の欲しいものをその上に置く時
滑り落ちると同時に引っかかっていたものまで
一緒に崩れ落ちる事もあります。
心が盆地なら
どこに置こうとも安定してそこに座す事になります。
まず何をすべきか
そしてどう動くべきか
最後にどこに戻るのか
全て感謝です。
感謝で見れば学びとなります
感謝で動けばその結果が出ます
感謝で今を蒔けばその芽がでます。
願いではなく
魔よけではなく
都合の良いおまじないでもなく
感謝で真言を唱えて見てください^^)
願わずともいずれそうなるでしょうし
魔よけなどしなくとも穏やかな流れの日常になります。
それが自分の心に眠る
仏心を意識できる鍵の一つです
そんな穏やか心で
子供を叱る人は、その言葉に愛があるのです。
虐待の報道が多くございます。
自分の心の険しい山道のいらだたしさを
子供にぶつける事だけはしてはならないと感じます。
合掌 浄霊師 神島千尋
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