続 お経の力
「続きを」の要望にお答えして
もう少しだけ^^;

「供養している」という言葉の語尾に
全てに共通する言葉の終え方に違和感を感じませんか?
他に対しての行いを意識するようになると
生活も行動も性格も服装も表情もいつもと同じですが、
心が変わります。
心が変わると、言葉が変わります。
毎日手を合わさせていただいています と。
その時、その方の放つ気を読めば
その方が心で何を描いているかリアルタイムで分かります。
言霊
表情
発する気
全てが一つとなって輪を形成し
その方を包む大きな流れとなっているからです。
その輪を持つ方は
言葉に嘘がありません
心の波動が言葉を生むからです。
目はこちらを向いていますが肉眼ではなく
心のスクリーンでこちらの内側から繋がる先に
意識を繋げてくる方がいます^^)
霊感ですね^^)
ところが同じ視線でも
肉眼はこちらを向けながら
心を逃避させる方がいます。
これは誰もがわかりますよね^^
一点を見たままカラ返事している状態。
あるいは完全に違う事を頭の中で
空想し時間の過ぎるのを待つ・・・
この癖をつけてしまうと
すぐにそう言う状態に
入り込むことができるようになります。
一つの術ですが、これが得意な方は
幼い頃からしている事が多いです。
怒られる時、説教を聴く時間など
自分にとって耐え難い苦痛を回避する術として
身に着けた方が多いです。
悪いことではありません、
それが自分の心を守る手段だったのですから
むしろそのおかげで自分の心を保っていられたとも言えます。
さて話は戻ります
先の話の霊感を持つ方は察しが良いです
この状態でお経を唱えるなら
それは浄化の力を生む基点となります。
ですが、殆ど場合無意識か
意識していても一瞬しかできずに
それを継続する事の難しさと言ったら^^)
それを継続するには修行するしかないでしょうね。
修行とは何か・・・
肉体的な苦行などは精神面での強さにはなります。
ですが本当の戦いは
その力そのものを欲する心が無いかを試されること。
日常の全てが問われるようになります。
神仏さまを祀る方
お迎えしているのです
来てくださっているのです。
供養しているのではないのです
させていただくと言う心を学ばせていただいているのです。
それが出来ないならそもそもお迎えすべきではない。
都合の良いときだけ手を合わせる
その結果として現れている悩み事が
日常の中の無いかを感じてみる
そこを根本として今一度供養とは何かを
感じてみると
どうすれば良いのかは
自然に見えてくるはずです。
供養と言う名の
自分の為の願掛けは
もうやめる時が来たのです。
人は幸せになる為に生まれてきたという方がいます
その通りです
ですが、
自分の幸せと自分本位の考えは正反対です。
物質的な満足度の高さが幸せなら
争いは尽きません
自分の幸せとは何でしょう
それを知る一つの鍵は
「麻痺」から覚めること。
それをしると
宗教や信仰は本来必要ないと言う
私の言葉の意味がよく分かるはずです。
そして一番大切なことを最後に書きます
私の話など
聞き流す程度で丁度良いのですよ^^
世の中絶対と言う事はありません。
いい加減が良い加減となるのです。
それって本当に大切な事です。
行き着くところまで行くと
反対側の大切な物に気がつきます。
それはそこまで行ったから知りえた事なのです。
無駄無意味も大切な要素なら
今起こる些細な出来事も
実はとても大きくて大切な一つのパーツなのです。
さて、そのパーツを覆う全体が何であるか・・・
それを知らずにパーツしか見ていなければ
意味の無い無意味な物にしか
見えないものなのでしょうね。
それこそ
本当の意味でもったいない
そんな気がしませんか?
ちょっと本気になりそうなので
このあたりで終わりにします^^)
合掌 浄霊師 神島千尋
| 固定リンク
« お経の力 | トップページ | ちょっと水晶のお話 »
この記事へのコメントは終了しました。


コメント