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2011.01.26

霊感修行時代

6000012
さて、ハードな毎日でございます^^)
忙しいほど燃える男でございます

・・・でも今
目が開いてません

眉毛は上がってますが目があいてません・・・と
先ほど人さまに笑われました^^;

昨夜は一晩かけての浄霊のお仕事でしたので
さすがにこの時間になると瞼も重たいのであります。
田舎の山奥で熊や狐と戯れながら生きているじいに
徹夜は修行に限りなく近いものであり・・・
と妙なハイテンションを楽しみつつ^^

さて、
とある都市の通りで車を止め、連絡待ちしていた時のこと。
そこは30万都市とは言え、深夜2時過ぎともなると
人通りもまばらとなり、
街灯が商店街を直線で浮かび上がらせていました。

城下町と言う事もあるのでしょうが・・・・
変わりに徘徊すると言うと失礼ですが
白や黒の方々が右往左往し始めます。
本当の意味で夜の世界に入る瞬間です。

時間は正直関係ないのですが
やはり12時をすぎると、人の心は肉体ではなく
魂で感じやすくなるのは確かです。

私の車の目の前を、黒い霊が道を渡って行きます
その向こうを、今度は白いご霊さまが円を描くように
そちらの流れから、目の前の空間に姿を見せます。

どうやって霊をみているのですか?
という質問を頂く事があります
今回少しそれに触れてみますね
意識や感覚をあえて変える事はしておりません。
心に入り込めば自然にこの物質世界の肉眼での判断基準から
逸脱し、そちらの感覚で目の前の空間を感じるようになるからです。

ただここで一つお話しておきますが
言葉をそのままの意味で理解しようとする方がいらっしゃいますが
それは違う結果に繋がりますのでご注意を。
例えば逸脱を言葉通りに感じるのではなく
イメージで捉えていただきたいのです。
意識して逸脱している、と言う事を言っているのではなく
説明の都合上使いやすい言葉として当てはめているだけです。

この入り込み方は、小学校の時の授業中に経験し
その後、中学では授業中頻繁にその感覚を磨いておりました。
中学で九死に一生の経験をしていますが
あの時のあり得ない出来事は
そんな事ばかりしていた結果でもありますね^^)

感覚の転換はその頃いつも出来るわけではありませんでした
邪念と言いますか、必ず雑念が邪魔をしてきます。
完全に無と同じになる瞬間が生まれないと入る事ができずに
どうすればそれがいつでもできるか考えたりもしました。

ですが、考えて出きるものでもなく
あるとき悟りました、センスなんだと。
理屈がそのセンスを鈍感にさせてしまう事もあると感じます。

幼い頃に霊的な感覚で物を見ようとした結果
その頃、肉眼ズームを何度も経験しました。
カメラのズームを、目でしていました。
おかしな事を言っていると思うでしょう?
ですが、本当にそうだったのです。

面白くて、いつもそんなことをしていました。
例えば先生が黒板に書くチョークにズームしてみたり
自分が座っているその場から後ろに視界を広げ
まるで広角で全体像に画面を広げていくと言うような事を
繰り返しておりました。

で、結果勉強は最低でした^^;

その癖が未だにあるのですね
動かずに座っていると、無意識にその感覚で全体像を見ているのです。
その中で見ているものは、目の前の空間の気の流れ、
その中を動き回る想念、霊、そして私にもよく分からない次元の違う存在など
さまざまな流れを成しているようで成していない形としてみています。

これを言葉で説明しなければなりませんので大変なのです。
この世界の言葉とは便利なようでとっても不便ですね。

ちょっと、私の感覚の一つのお話でした。
今では切り替えなどと言う事の必要もなく
通常の状態でその流れに触れています。

ちなみに、この空間の気の流れが
その家やお店などの雰囲気となっているものです。
落ち着く雰囲気の気とは、そういう意味なのですよ^^)




目が・・・・  ^^; 





合掌 浄霊師 神島千尋

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