お位牌やお札云々

朝、道端で目にとまったので一枚^^)
良い気ですね。
さて、お位牌が二つあるのですが・・・
と言うお話を良く聞きます。
理由は様々ですが
例えば
兄弟親戚(分家)などへの位牌わけで
それぞれの家にあったものが、事情で戻されたか
預かる事になり、結果一つのお仏壇に
同じお位牌が二つ。
事情は違えどそんな流れと思います。
それがすぐにいけないという事では無いですが
そうはいってもお位牌の数が
増えていくばかりでは大変です^^)
同じものなら一つは菩提寺さまに
ご供養をお願いしたら良いと思います。
それから、神社やお寺のお札
一緒に仏壇において良いかと言うお話も多数。
いけないわけではありません。
一緒だと喧嘩する、などと言う事も無いです^^
そもそも神仏さまを人の感覚ではかること自体違います。
とは言え物事には筋がございます。
神道と仏道それぞれの流れがある以上
やはり別に安置するに越したことはないと感じます。
お寺さまから頂いたお札はお仏壇に、
神社さまのお札は神棚に安置させていただくのが良いです。
ではお仏壇や神棚が無い場合はどうしたら?
その場合は、家の中の棚などの一番上の段を綺麗に何も無い状態とし
綺麗な布でも広げ、その上にお花や綺麗な水を一つ
その中央奥にお札を安置なされば良いと思います。
そうなると神道と仏道が一緒になってしまう・・・
と心配する方がいますが最初に書いたとおりです。
そもそもそれが悪いと言う事ではないと言うことです。
それぞれの流れは違えど、
手をあわせ感謝するに変わりはありません。
目を閉じるには閉じる意味があるように
心でどこを見ているかが大切で
これが良い悪いに縛られ拘りはじめると
出口の無い迷路に入る事になります。
信仰が依存へ変わる要因はそこにあると感じます。
本質とは常に誰の心にもあり
それを素直に感じ率先して動く事で
潜在意識を物質世界である人の状態で
自然に察することが出来るのです。
直感、インスピレーション、霊感、それらの精度が高い方は
基本的に心の奥底にある本筋をはずしていないと言う事と感じます。
知人に、口の悪い男性がいます(暴力団みたいな感じ^^;)
彼は高原野菜のオーナーで会社組織を作り
社員さんを養う事業家となっております。
口は悪いです^^、確かに。
でも、人を思いやる気持ちは誰よりも強く
従業員が何処よりも良い感覚で働いてもらえるようにと
あれこれ努力し、常に考え、時に怒りながらも
その怒りはすべて人の為の行動なのです。
日本でも指折りの機材を導入している為
日本中から機材の見学に人が訪れているほどですが
県外の遊休地を借り上げ規模拡大を自治体と一緒に進めていましたが
今回の震災で大きく予定が崩れたそうです。
大規模な設備投資や社員寮など含めて莫大な返済がありますが
その中で何度も危機を脱し、安定させています。
人の話を聞く事の無い彼が、
素直に話しを聞くこと事態信じられないと
彼の奥様は言っているそうです。
私の話の中で、彼は、それまで自分がしていなかった事を
一つだけ実行したそうです。
その時から、助けていただいている流れをまざまざと
見える形で理解したそうです。
人の決め事はあくまで物理的なこの世界のルールであり
そこに縛られ過ぎると、本筋をまったく忘れてしまうことになります。
これ以外はダメ!
と言う絶対的な決め事は
あくまで人の世界のルール
それを視えない世界にまで当てはめてしまうと
暗示は解かれなくなってしまいます。
心縛られていませんか?
自然に目を向けると
自然もこちらに気を向けてくれます
そこに真理があります
何も難しくありません。
だってその理の中に生きているのですから
素直にいただけばよいだけ^^)
合掌 浄霊師 神島千尋
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