« 不動尊 | トップページ | 本当に霊障? »

2011.09.16

071111121

声で話しかけてくる霊はたくさんおります。
神島千尋も頻繁に声を聞いておりますが
この声を正直気にしたことがありません。

うめき声や叫び声もよく聞きます
同じ事を繰り返しの叫んでいる霊もいらっしゃいます

さて、声とはさまざまな届き方をしますが
私たちが霊として認識しているそのほとんどが
もともと人です、当たり前ですが
思念や生霊となるとまた少し話がややこしくなりますので
ここでは一般的なくくりで捉えてください。

人同士の会話の中で、誰もが常にその時にに応じた会話をします。
時には対立することもあるでしょうし、
雰囲気に合わせて話をする事もあります。
本当は違っても、それが言えない事もありますし
言わなくても良いのに、余計な一言が出てしまうこともあります。
たまたま話した内容が大きな解決の糸口になることもあれば
良かれと思い話した事が、意図しない捕らえられ方をすることも。
つい、そうでないのに結果的に嘘を言ってしまうこと
時には「確信的」に作る話も。

自分の都合に合わせて話をつなげなければならないとき
次から次につじつあをあわせて行きます。
後悔の念にかられる人は、繰り返さずにどこかで巡る因果を真摯に受け止め
次の繰り返しをしっかり断ち切る事ができますが
怖いのは開き直ってしまう心になったとき。

自らの想いを最優先することが大切で
その為には泣き落としであろうと怒りや脅迫めいた行動をもってしても
思いを通す縛られてしまっている心。

このような流れの中に無念で残っているご霊さまは
言い方が失礼になりますが、嘘も言います

離れたくないから。

ただしもう一つの存在である人の心が作り出すエネルギーも
同じように感じられることがありますが、こちらは相当厄介な存在となります。
それはいずれ・・・。

さて、
都合のよい解釈を話すことで、時には霊感が合うように錯覚させる事もあります
しかし、すべてが正しいわけではありません。
言うとおりの事が一つでもあれば、人はそこに心がとどまります。
「本当だ・・・」 と。
でも確かにその通りの事があるんです、と良くお話くださる相談者さま多いです。

このケースはなかなか改善しにくいのも事実です。
囚われた無念と同様の思考に囚われていくことに
自身が気がつかない事もおおく
そうなると目に入るすべてのものが、不安と疑心に満ちてしまい
そうでないことまで、そのせいになってしまいかねません。

一つの事由がその後長い間のすべての不和の原因であるとしても
そこに囚われている限り、そこから抜けることができないのも事実なら
まず、そこから離れる心も大切です。

しっかり区切りをつける明確な意思
物であれ何であれ同じこと
終わりを迎えるということはお別れできるということで
それなくして次の縁が始まらないなら
その縁が巡らぬ理由も見えてくるはずです。

通すべき流れを通す事は、すべてに通じ
流れは自然に浄化するのが見える世界も視えない世界も同じこと。

さて、次の相談始まります^^;
読み返しません、誤字お許しください


合掌  浄霊師 神島千尋


|

« 不動尊 | トップページ | 本当に霊障? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 不動尊 | トップページ | 本当に霊障? »