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2011.12.06

邪魔と言う存在

0335311111

コメント頂いた中で無と言うお話がございました
書きたい衝動に駆られましたので少しだけ(笑

そもそも
無でいられる人などいるわけないです^^)

私などは凡人でまさに雑念の塊ですよ(大笑

物事の捉え方とは
自分の法則で見ていることでもあります

さて、一般的とは何ですか?

「多くの方がそう言っている」等体勢のある程度の意であり

それに沿うか否かが判断の基準であることが多いのです。

継続を断ち切ろうとする邪の念が魔であり

それを邪魔と言います。

やろうと思う心と肉体の波動をあわせることで気合を生みながら
同時に面倒と感じ動きを迷わせ、
その気を
無かったものにしようとする作用の力が無力

どちらを選んでも自分の気

つまり魔とはそもそも心にあるものなのです。

その魔を洗濯する生き方を繰り返し
そこに飲まれ、
その上さらに加速させるような
言動、行動、そしてその継続に

類は友を呼ぶを当てはめれば結果は云わずとも。

そう言う意味では

どうにも救えない方がいるのも
事実です。

それがこの世の中であり

だからこそ浄霊師は
そうなる前に
出来る精一杯をしなければなりません。
一人でも

手遅れにならぬよう。
しかし受け入れる心すらなくなってしまっていれば
どうにも出来ないこともございます。

必要なのは
自らの心を変える努力なのです。

どうしてもだめです・・・と言うなら

それは心でそう決めてしまったことであり

そこにすでに枠ができ、それが限界として君臨します。

一個人だけではなく少し引いてみると現代の世相も同じかもしれません

メディアの情報も
人同士の表面的な会話やうわさも
一つの基準となっている事が多いものです。

誰もが内に持つ霊的な波動に
本音と言う気を乗せて飛ばします。

それいいですね^^)と言いながら本当は思ってもいない心
かわいそう、と言いながら真逆にあふれる思い
心同士誰もが繋がっているのです
つまり無意識と言う意識のなかに、表面では分からない本質を
はじめから誰もが見抜いているのです。
違和感、虫のしらせ、察する雰囲気、受け入れたくないと思わせる言動や相手
その答えはつまりそう言うことです。

内と外がバランスをもっていればよい波動を

さもなくばバランスを欠いた気を
飛ばしていることになります。

思っている事と現実のギャップが
大きければ大きいほど

負の念も強いとなります。

無とは、無いではなく

心と行いの違和感を少しずつ縮めていくことであり

そのバランスがとれ始める事で
はじめて理解するものと感じております。

何も感じず何も考えないまったくもって空っぽになる状態
と言うイメージがあると思いますが
風に逆らわずゆれてみるのも 

「 無 」 です。


概念を変えることは
新しい感性を得ることでもあります^^)





合掌  浄霊師 神島千尋


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