執念
執念
宗教や派閥など
正直どうでも良くて
大切なのは
忘れているその何かを
思い出せる心と場所が
そこにあれば
それすなわち信仰なのだと
私は感じて今を生きています。
今年の春に行った講演の中で
人の心の力を沢山お話しました
ある年配の男性が長年使っていた鍬がありました。
その柄は経年によって少しずつ少しずつ反っていきました。
すでに弓のように曲がりながらもそのまま使っていました。
あるときそれをみた人が柄を交換するようにすすめましたが
いや、この柄は愛着があるから曲がりを直すと
変えずに使い続けました。
それから後、あるとき柄がまっすぐになっていのに
気が付いたあの時の人は、結局変えたんだと思ったそうです。
しかし、聞いてみるとあの時のまま使い続めていたとのこと・・・
鍬柄の柄は自然の木が殆どで、材質や使っている部分(気の癖やふしなど)
人の力で曲がりを直せるものではなく
また重石をのせたとて、熱や水分など工夫と相当の修正を
加えねば直るものではありません。
しかしあれほど弓なり自然にまっすぐになっていたのです
どうやって直した?とたずねると、こう答えたそうです。
執念で直した、と。
^^)
すばらしい。
これ身近な実話です
執拗に囚われる心も執念なら
その執着を良い方向に向けてみる事もバランス
あきらめない気持ちとその想いの度の強さが
無意識のうちに、曲がりを直し使い方になっていたはずです。
雨風、季節の変化の中でそれらが一つの流れとなり、結果が出たのでしょうね^^)
継続は力
物理的よりも、心の途切れない思いそのものの力のほうが
何よりも強いと感じます。
合掌 浄霊師 神島千尋
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。


コメント