解釈

改宗されるケースは多々ございますが
それが原因で何かが起こるのではないかと
心配されている方って結構いらっしゃると思います。
むしろ起こるとすれば
人の都合によるもののほうが
確実に多いと思います。
トラブルとはそう言うもので
お墓や法要での存続のいざこざは
後にまで尾を引きますし
時には後世にまでその余波を
継続させてしまう事もあります。
お寺さまとの確執もその一つ
元々は仏教でしたが・・・
今は神道に変えています。
と言うケースは実はとても多いのです。
それが良い悪いと言う事はありません。
どちらを信仰しようと自由です^^)
誰が何を心に持つもその人の生き方ですから
それを他人様がどうの言う必要がありません。
問題は、それが供養に影響をするのではないか?
と心の中で常にその事が引っかかりながら
今に至ると言う流れになります。
そしてね、往々にしてこういう流れのには
人間関係のトラブルが付いてくるものです。
先に言った流れがそのまま違う方面にも
同じようなつながりで波及していくものです。
あれとこれ
まったく違う事案や、関係の無い出来事も
心の中では同じ自分の現実の問題に変わりありません。
別々の問題でも心にのしかかる重圧や苦しみは
互いに影響しあいます。
ゆえに晴れない心で望むダウンした気は
その強さの分しか働きかけません。
それを受ける側は、それが人であっても物であっても
中途半端な気を感じます。
それに対して100%で返そうとは思わないのが
互いの関係です。
コノやろうと言えば何だよと返したくなる法則。
何だよと返されると何だよとはなんだ!と言う鏡のような循環
この場合は悪循環となりますが・・・。
この例えはそのまま日常の流れの中に常に生まれては飛び交います。
その繰り返しの中で習慣が生まれ、そのグループや集団の雰囲気が決まります。
さて、どう祀ったらよいのか
日々そう供養したらよいのか
ケースに応じてお話しております。
同じ場所、同じ配置でも
まったく意味をなしていない事が多く
例えばお仏壇が家具になってしまっている家が少なくありません。
そちらと繋がる場でなければ
どんなに供養をしていると言っても
「つもり」になってしまう事も無きにしも非ず。
こちらの良かれがそちらの求めと一緒とは限らないのです。
改宗をどうの先祖様が言うわけではありませんが
縁に心が繋がるのは誰も同じこと。
そう言う意味ではこうあってほしいと言う心を感じられる
今を頂いている者として、今の自分ではなく
今につなげてくださった事を心の中心にできる時間と場所に・・・
そうなっていますか?
合掌の瞬間。
解釈を変えるだけでも
結果は違って来るものです。
合掌 浄霊師 神島千尋
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