時

何が正しく何が間違いか
正反対の物には中心があります。
自分を基点に左右
頂点を基点の向こうとこちら
壁を境に光と影
その真ん中を境として対極が生まれているなら
いずれも一つの流れであり元は同じところから始まっているともいえます。
ならどちらを進むかは心の思う方向だけ。
どうにもできない状態だとして
どうにかしようとしてもなるようにしかなりません。
ただね
どうなりたいのかを心に忘れなければ
そうなるために動き始める時は、常に訪れてきます。
それをチャンスといいます。
チャンスと聞くと、なにか大きな出来事や
誰かがめぐらせてくれるものと言うイメージで
「待っていれば」と言う受身のスタンスになり
何も変わらぬ今の継続が日常になります。
なぜかと言うと
それに関わるはっきりとした「それ」を感じなければ
そうだと思えない自利の癖がついている事があるからです。
“こうなりたい、
でもそうなる為に直接関係のないこれはそのまま放っておこう
だってこれはそれとは関係ないもん”
関係ないと思っているそれこそが
実は一番先にしなければいけない事だったりするものです。
そう感じないところまで落ちてしまうと
なかなかあがって来れないのです。
言い訳上手と言う気の消失現象
どうして出来ないのかの理由はもっともで本当に納得できます
その説得に迫真がこもり実現させているのが今で
もし改善したいと思うなら
無理な理由を口にしないことから始めると
次にすすむ一つのきっかけになることがあります。
何かを事例にあげてお話している訳ではありません。
あえて言うなら昔の自分を思い出し書いているだけです
チャンスとは分かる形で現れるものではなく
常に目の前にあるのです。
それをチャンスに変えるかどうかだけなのです。
あえて言うならマイナスな出来事ほど
チャンスに近いといえます。
なぜなら発想の転換は思考の広がりなのです
思考の広がりは限界を押し広げます。
自分の絶対をいちど捨てられる人は
その瞬間にそれまで見えなかったものが一つ見えます。
しかし新しく見えたその枠を絶対としてしまうと
同じ繰り返しとなります
大切なのは、次々に上書きするように
その時の絶対が次の枠ではいかに小さなくくりであったか
そう感じるその繰り返しをしていけるか常に試されていきます。
その流れにある人は、時間を早く感じるようなります。
年^^?確かにそれもあるでしょうが
心で視るように感じはじめると
理解が早くなります(察しよく、思う事がおおよそその通りとなります)
すぐに自らの知恵や行動として得て行きますので
心が紐解かれるように多くの流れを求めるようになります。
それはどこかにある綺麗な光の川のような流れ
自らに繋がる・・・・
そんなセンチなイメージではなく
本来自らの心が持つ本質に向かうというのが正しいかと思います。
それを磨いて表にするか
見えないまま、埋もれさせたまま
我を通す生き方もまた人生なのかもしれません。
合掌 浄霊師 神島千尋
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コメント
生きていくのって時々大変です。我を通すと、敵を作り、通さないと何も起らないの。人って、色々な流れの中にいるのでしょうか。一つ良くても、他が良くなくて、頑張っても報われない。自分だけ頑張ると、嫌味を言われたり。我は、人を孤独にもするようです。チャンスは、来るかな?
神島さんのブログは大人です。安心できる気がします。(感謝)
投稿: ねこ | 2012.02.17 01時45分
チャンスとは心の捉え方です。
物や見て感じれる現象として欲すると
満足できるかどうかと言う判断に
なりますので飢えますが
今そのものが結果と感じる心になると
後悔よりも、次の新しい流れへ
眼が向き自然に前向きな感覚で
行動するようになって行きます。
そうなると無理の無い我の通し方を
心得るようになると思います。
我を通すというより互いの発する
気(波動)により対立や不和が
暗黙の中で空間を満たしていきます。
それが派閥であったり敵見方であったりし
その気の流れが、職場などの雰囲気となり
その気を元に、そこから縁が生まれます。
チャンスはいつも訪れています^^)
目の前にいつでもあり
それに気が付くか否か・・・^^
かもしれません
コメント感謝>ねこさま
投稿: 神島千尋 | 2012.02.19 08時53分