夕刻の無限

朝日はいつも頂きますが
どちらかと言うと夕日の人です。
朝は決意とスタート
夕日は静寂と安定、かな私的には。
幼い頃から一番嫌いだった夕刻が
今では一番心安らぐ時となっています
それを求めているからなのでしょうね
必ず夕日を目にするタイミングを頂いております。
唯一のストレス解消の瞬間でもあります^^)
酒もタバコもギャンブルも、人生に必要ない中で
そうですね^^、唯一の娯楽のような時であり
出来る限り目で頂くようにしております。
ですので私のブログは夕日画像の登場率が花に次いで多いと思います。
何に惹かれるのか分かりませんが
私の波動がその時間の波長と近いのだと思います。
そしてもう一つ
それは色。
黒に限りなく近い紺色^^)
その基点から始まる前後のグラデーションはたまりません!(笑
つまり全体的に影的な構成のなかにふられる紅の映えは
無意識に撮ってしまいます。
ただこの瞬間はほんの一瞬で
撮りたい・・・どこかに止まろう・・・と
探しているわずか2,3分でもう輝きは消え闇が勝ってしまいます。
幼い頃
雪がしんしんと降りしきる深夜
妙に冴えて眠れずに窓の外を見ると
まるで昼間のような明るさに感動したのを覚えています。
田舎の景色のなかでどこまでも見渡せるその明るさにひかれ
見つからないようにそ~っと外に出て
普段なら怖くて歩けない夜道や山の周りを
静かに静かに、雪の中ではしゃいでいました。
月の光は
その時と同じでどこまでも届きます。
迷わぬ程度に見渡せるその静かな光は
必要なものだけを見せてくれる光です
必要の無い物は見えなければ必要を感じなくなります
必要なければ欲する気持ちは起きません。
逆に言うなら、必要のない物を必要と思わせることが増え
その繰り返しのなかで溢れている今
物質を置く事の出来ないそれより上の空間に意識を向ける唯一の瞬間が
夕刻なのでしょうね。
それまでの目線全てを闇で多い尽くし
必然として地平線や山なみから上に意識が向きます
そうか~、こんなに広いのに
何で自分は狭い範囲で悩んでいるのだろう、と
教えてくれているのかも知れません。
誰が?
神様であり仏さまであり
どこに?
目の前にいるじゃないですか^^!
目に写るその流れそのものが全てであり
その中にいながら心で感じ求める運気を
五感で欲する心身のズレがある限り
求めても触れられないのはこれ至極当然となります。
自らが心向けなければ
受け取ることは出来ません
扉は誰もが持って生まれています
その中央に手を掛けるか否かは
自らの決意だけです。
そこに、宗教や信仰は必要ありません!
自分で信じるその道を通すこと
その継続に必ず道はつながります。
合掌 浄霊師 神島千尋
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