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2013.03.29

負の連鎖

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年度末で何かと忙しい時ですね

神島千尋も動いておりますが
感じるのは変わらず厳しい場があると言うこと。

時折自ら命を絶つ、と言う前提でコンタクトを頂くことがあります。
命の大切さをお話する段階はすでに越えて
通常ではない状態で、生まれ変わりを聞いてくるとき
こちらも意識を繋げてお話しなければならない事も少なくなく

意識を繋げると言う事は、理屈や理論でどうにかなるものではなく
言霊と同時に発する気を同調させて塗り替えるように引き戻しをはかる、と言うと
なんとなくご理解いただけると思いますが
いうなればそう言うつながり方をする時があります。
その時、気をつけるのは、同調=共鳴
察しの良い人ならこの後、「引き込まれていく」と思うと思いますが
それも心に基点がなければ言えることでもありますが
何より気をつけなければならない事があります。

その心の状態になるまでに要した期間、引き込んでいる負の波動
そしてその状態に引き込む浄化されていない霊(心)
さらに言うなら、魔と化している強力な集合体など。

同調共鳴のケースで怖いのが、それらを引き寄せてしまうこと。
これを負の連鎖と言います!

あの場所に行ってから
あの人と会ってから
あの時依頼 etc

などなど。


護身

この言葉は検索キーワードでも多いように
身を護る術は誰もが知りたいところと思います。

自ら自身を護るのが基本です
自ら守れないのに、人を守りたいは成り立ちません。

真言や護身法を探している方も少なくないとおもいますが
法は、あくまで修行の中で会得するものと感じます

自らその心になり、はじめて言葉に気がこもります
その気に宿る波動を言霊と言い、
言霊は印と想念が連携しているから成り立つのです。
つまり3つ全てが一つをなしていることで初めて生きるものとなり
その波動に宇宙に満ちる見えない振動が共鳴するのです。
その共鳴はマイナスの共鳴を打ち破るに余りあるものとなります。

一度に全てを会得しようと思っても難しいです
まず一つを揺るぎない物にする、そこに次をあわせていくとよいかも知れません。
すると三つ目は何もしなくてもなんとなく整ってしまうものです。

今を生きる私たちが最初に出来る事といえば
まず自分を大切にする事。
それなくして何を求めてもそもそも始まらない、と言えます。

分かっているけど止められない・・・
そんな自分によくないと思える沢山ある日常習慣の中の
何か一つをまず心から抜いて捨ててしまう!

生きていくのに必要ですか?

違う違う^^、 生きていくと言うのは、命を継続するのに必要かどうかです。
それが無ければ人間が命を継続するに必要かという事です。
我慢できるか否か、口寂しいなどの自分の気持ちなどどうでも良いです。
心に作り上げた自分だけの悪しき法律なら
ポンと抜いて捨ててしまえばよいだけです^^!

一つ捨てると、その軽さが次のやりやすさに変わります。
そうして生まれる連鎖が心に指す一つの光となりますように!

合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.03.24

無題

相談いただく中で
時々、その後親しく交友させていただくご家族さまがいらっしゃいます。

毎年、ご供養をさせていただく事もあれば
折々で、法事などお顔をあわせる機会が増える方々もいらっしゃいます。

本当にありがたいお時間をいただけます

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いつも思うのは、そんな時に作られる空間
空間には地や物はもちろん、そこに携わる人も含め
色や感覚を作り出す気が満ちます

どんな気が満ちているかで、その空間に集まる方々の志向も変化します

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普段話さないことを、話したくなる雰囲気や
いつもと違うキャラになってしまったり、ね^^)

でも楽しい時間はわずかで十分
楽しい時間を永遠と欲すると同時に
思いやりが欠けて行く事が少なくないからです。

欲が強くなり、強欲が表面に出てくると
無理を強いるようになります、それも無意識に。

気をつけなければと思いつつ・・・自分本位になっていないか・・・

そう感じる気持ちが少しでもあるうちに
あるいは「退く」事の大切さを学べと言われているのかもしれません。


一度決めたら貫くことは大切
でも潔しすぎるのも偏りになるなら
決めた流れの中に、自然に困ることがでてくるものです
意思を貫きつつ、変化に応じて修正していく柔軟さを
常に投げかけられているのですね

この世とはまさに^^;


さだめとは避けられない折り重なりであり
だからこそ、どう受け止めるかの選択肢を頂いていることに
感謝なのです。




合掌  浄霊師 神島千尋



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2013.03.21

無題

そこに座すこと

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追い込まれている時こそ力を抜けって事ですね^^)

目の前にあって
意識してみているつもりで
毎回新しい色を発しながら必ずそこにある。

同じと思うのは怠慢?

なるほど、いつも同じ場所に座し
同じ空間で同じ空気
同じ窓
同じ時間
同じ色合い
変わるのは季節に応じた日の流れ


繰り返されることによる慣れは
やっているつもりすら忘れさせてくれるもので・・・


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毎年同じ頃、同じあたりに
同じような花が咲きます

でも、いつも違うのですね
同じようで、それぞれの主張が違うように。

まるで飲まれそうな勢いを放つ黄の気
寒さで半分ほどしか開いていませんが
もう少し暖かくなったらもう一度写してみたい花です。

まだ凍えそうな冷たい風の中
立つと見えないほど小さな開花
お墓参りの香の香りがどこからともなく漂う季節ですね

母を亡くし
父を亡くし
兄弟を亡くし
そんな自らも亡くなってしまった一族がいました。
皆人生の半分も経たずして怪死

避けられないものはります
人の力の無意味さを見せ付けられることもあります
ですがどう迎えるかは自らでどうにでも変えることができます

人の心の無限の力を何度も何度も学ばせていただきました。
信じることの大切さを。
何を信じる?  

自分の心です!


時を越えて巡る理屈では割り切れない不運と言う見えない世界の因果は
今の欲楽で越えてしまう一線が引き起こす末代へのつけとならぬよう
意識できるかを、何度も試されるのでしょうね。

誘惑と言うおいしいお話に姿をかえて。



合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.03.19

視野

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思慮深く心をくばる

配慮^^)


守護くださる御霊さまがいらっしゃいます
導く御霊さまがいらっしゃいます
一切関わりのない存在であっても
その時の心の感覚で、一瞬繋がりを持つ瞬間があります。
物思いにふける時や、反対に空想やイメージの世界に入り込んでいる瞬間などがそれですが
そんな時、心が触れている領域にあわせて関与する存在もあると言うことです。

伝えたいが渡す手段がない時
そんなチャンスや瞬間があれば逃したくないですよね

誰もがよいものは欲しいですが
悪いことは避けたいし欲したいとは思いません
ですが、良い悪いの判断はどこでしているかといえば
自分を基点としてのことが殆どなのです。

人を思いやることの難しさは、それに気がつかない自分は大丈夫、自分は違うと言う
誰もが持つ心の自己防衛術
小さな防衛の繰り返しがいずれ過剰防衛になることは誰もが経験します
それが自己中心的な感情。
反感、孤立、いずれ反発によるバランスを求め
何かしら仕返しに転ずるか、内に秘め負の念で呪うか、
それが形で現すか現われるか、またはそもそも発する波動に気がのらなければ
時と共に自然に薄れていくかのいずれかとなります。

さて、心で思うことは無限であり壮大であり
不可能は無く複雑な繋がりで次々世界が現われては幾重にも折り重なり
うまく処理されながら出し入れしています。
誰が何を感じ繋がるかも自由であり束縛される事はありません。

魂の向上が命を生かすことならば
「出来る・出来ない」「したい・したくない」などが何を生むかすぐに分かると思います。


いるの?いないの?
誰がいてくれているのか知りたい。


そのイメージは人の形を指していますよね
役割は確かにありますが、特定する意味は何でしょう?
私はこれまで何度も言っていますが、
苦の始まりの半分は五感で得られない足りなさです。

見たいのに見えない
欲しいのに手に入らない
人と自分の差
楽しいことや刺激の欲求
そしてそれらを満たす行為への依存

その五感に支配されたままの延長線上に求める心の世界への答え。

ある事業で成功された方とお話した時
その方は、心の世界に興味があり理論理屈含め人としての立ち振る舞いに至るまで
完成されていました。
私などが話をする事自体失礼な気がするほどです。

今つながる先を言霊で、素直に心に落とさせていただきました
それまで自身に満ちた強い、本当に強い目をされていましたが
その方の目がその瞬間私を通り越しその先にある深い光に一瞬で到達されました

そしてソファーにゆっくりのけぞるように、天を仰ぎ
全身で穏やかな気を放つように深~いため息を一つ

「宇宙と繋がると言う意味が始めて分かった」
とお話くださいました。

どれだけ多くの守りを頂いているかを
言葉ではなく、心で視ることが大切なのです。

心くばりとは、誰と誰に、ではなく
全てに行き渡るように視野を広げることと感じます。



合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.03.17

時事

先日移動中にふとある景色に目を奪われました

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目的地に向かっていたはずが
気がつくとその景色に向かって山に入りかけていましたよ(笑
何度もナビがリルートで叱っているのに^^;


何に惹かれているか、お写真からわかりますか?



そう、正解!



     山頂の白い世界

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活力が戻り始め、そろそろ新緑に変わろうとしている深い色合いの中で
明確に区分される互いの境界線

その先にまだ程遠いと云わんばかりの樹氷


こう言う造形にかぜこれほど惹かれるのかわかりませんが
気持ちが抑えられなくなる感じがあります

時折お写真で出す夕日のそれと同じ感覚なのだと思うのですが・・・

私は60になったら、山にはいり、小さな小屋で、自給自足しながら
人と関わらずに一人で生きて生きたい・・・と
本気で思っております。
静かに一人で。


クマや狸と、と言う冗談は実はそんな画を先取りしていたりするのかもしれません。
変な人だな~と自分でも思いますが
許されるなら、今すぐにでもそうしたいと思う自分がいたりして


その昔

ずっとずっと昔

そうしていた頃、
いま一つ越えられなかった大地との縁があったのでしょうね


俗にいう前世ですか^^)
沢山の霊能者さんたちと様々なお話をしてきましたし
仕事柄、対話をする機会が多ございます。

前のお仕事も同じ流れであったと、聞いていませんが言われます^^)
力を求めた時もあったなら
力を抜く事が
なが~い時空の中でのそれもバランスだと・・・

そこまでしなければ一つの魂の向上が成さないなら
今見ているこのわずかな瞬間のなかで感じる大きな悩みは
一瞬で滅するくらいでなければ、
そもそも成すなどと言う言葉すら軽々しく・・・と思えてきます。


そんな事を見せつけられながら
あわててUターンして南の地に着くと

そこには懐かしい床のワックスの甘い香り

幼い頃の記憶が蘇るような、昭和の校舎の雰囲気漂う空間に
無条件で涙が出そうになるほどでした。

管理人曰く
ちょくちょく人が訪れ、相談を聞くことがあると言う

なるほど^^)
分かる気がしました


そんななんとも不思議な、とある日の出来事でした。



合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.03.12

オーブを写してみる

オーブこのキーワードは心霊の世界で
とてもよく使われる言葉の一つです。
解釈も様々ですし
業種により対立すら起きている現象の一つです。

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検証をしたサイトも多数ありますが
過去私は何度も何度も
オーブは、その多くがフラッシュの反射によるものです!
言ってきました。
もちろん見えない世界の現われ方の一つとして写ることは当然あります
それはそれで意思を持っていることですので
お伝えもあれば感情の表れもあります。
神格をもつ存在である事もあれば
自然界の中の聖なる存在としての光もそれはそれで存在し写ることもございます。

しかし同時にこの世界の物理的現象としては
まったく同じように写りこむケースが非常に多いのも事実です。
せっかくですので、今回物理的現象としてのオーブがどうやって写るのかを
再現してみました^^

「あくまで分かりやすい言葉として発光体を
 オーブと一まとめにして使っています、ご了承を。」

そして一応書いておきますが
これ一つで全ての答えと言うわけではもちろんありません^^
そこは誤解の無いようにお願い致します。

ただ、そうでないものを「そうだ」と思い込んでしまったり
「そう言われた」(←これが一番怖い部分)事が不安や恐怖の元凶になる事は
あってはならない事と感じております。

実際にオーブを発生させ撮影してみました

お時間ある方は覗いてみてください

こちら>>> (youtube)



合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.03.08

生霊の攻撃

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いきなりですが生霊は主張も強いですね
当然と言えば当然ですが

私はイケイケな人ではありません
一見そう見えるようですが(笑

浄霊師の時の私は強さで祓うのではなく
繋がる先の波動を満たすことで
波を鎮める、と言う感覚が基点になっているのです。

正直言いますと、浄霊師としての始まりが深い悲しみからだったからです。
陽気の緩み始める風景と、変わらぬ冷たい風の繰り返すこの季節は
決意をした頃を思い出します。

元々私は、今も昔も私のままで
でも出来る限りの物を心から捨てました

同じような境遇、同じような流れを引き寄せている方と
日々お会いするのも、一つの試練なのでしょうね。


神様、仏様、神通力法力、経文、陀羅尼、呪文、術 
様々な宗教や信仰の中でそれぞれの教えや行が無限の存在します
統合し分裂し集まり離れ、取り組まれ排除され
人の思考で練り直され理論理屈で解釈が変化していく。



思うのは 「それなのになぜ苦しいのか・・・・」と言う迷路に入ったままの今。

なぜそれを先に教えないのか


人の心の発する力がエネルギーであることを知っていながら
なぜそれを教えないのか・・・・


あまりにすさまじい負の心の蓄積
つまりストレスの発散方法としてとばしまくる念がすさまじい力になるほど
心の中に蓄積してしまうがゆえに
その念が自分を蝕んでいくことを自らしていると同じなのです。

生霊のレベルが違うのです


すさまじい強さを持つまでに至った生霊が
本体である相談者に心を取り戻させまいと必死に邪魔に入ります。

しかし、相談室に入れずに周囲からアプローチをかけていました

ドカンドカンとね。

びしびし鳴り響く音に相談者様は何事か?と心引っ張られますが

何事も気にせず安定した波動で相談者さまの心の波を鎮めること2時間。


お若いのにまるで老婆のような表情に生気が戻り
眼が戻り、血色が戻り 
自分を取り戻すことの大切さを笑顔で話しています。


落ちる瞬間の感覚を最後に、記憶も無くという
長年抱いてきたものをいきなり無かった事にはできません。

力に力では次の力で対抗すると言う繰り返しが起こります。


時折驚かれることがあります

なぜこのろうそくの蝋はなぜ上に上がっていくのですか? と。

いつもそうなので当たり前に思っていましたが
本尊さまの横のろうそくは、二つのパターンがありますが
いずれも、上に上るように蓄積されていきます。
いずれ高さに耐えられなくなり一本の棒として落ちてきます。

普通 祭壇などはしっかり繋がっているので、上に上に気が立ち昇っていますよね
だから蝋もそれに引っ張られて上がっていくものです。

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様々な姿に変化するときはありがたいですね
なんとなくそんな感じとかではなく
まさに昇り竜であったり、その時の必然が形となって現われる事も
時にはあるものです。

龍に関しましては、いろいろな意味で因縁があると言いますか
常に縁を頂きながら浄霊師をしているといっても過言ではないのです。
そのつながりは、祭壇の周囲にいくつも現われていますが
誰にも話したことありません

あっ、言っちゃった^^)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

暖かくなってきましたね
同時に花粉と黄砂とPMなんとかと・・・・
目鼻がね・・・もう・・・^^;

皆さんもご自愛ください。




合掌  浄霊師 神島千尋



浄霊師 神島千尋 MysteryZone

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2013.03.06

浅間神社

浅間神社を祀る長野県内の某山頂

昔、ここでよく座禅をしたものです。

遠征の岐路のなかで
遠くに傘雲がでておりました
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他に雲ひとつ無いきれいな小春日和の中にあって
龍の巣か?と思ってしまうほど^^)



これまで何度も見たことがあるこの位置に出来る雲を
不思議に思っていました

なぜならこれほど大きな傘雲なのに
下にやまはあれど、特別大きな山があるわけでもなく・・・
しかしいつも同じところに同じ大きな龍の巣のような雲・・?

峠を越えながら、あれはよく出ている傘雲だな~・・・^^)と思いつつ
隙間から一瞬垣間見えたのは間違いなく富士山!

車を止め、よくよく見ると富士山がはっきり見えており
その真上にこの傘雲がのっていました。

小諸高原からは富士山が見えると聞いていましたが
佐久市は盆地なので周囲の山々にさえぎられ、
何の雲?となっていたのですね^^! 

これはチャンス^^!と、あることを確かめる為に
浅間神社に向かったのです。

社は富士山(浅間神社)に向かっているとは知っていましたが
それを体感する術はありませんでした
しかし雲の中心真下に富士山があるのを確認した今
雲の位置が富士山の位置なら
社も雲にまっすぐ向いているはず^^

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後ろから写していますので分かりにくい構図お許しを^^;
まっすぐそちらに向いていますした^^。
長年のイメージが、形で見れると言うのはありがたいですね。


そして社の後ろには
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活火山「浅間山」が鎮座しているのは言うまでもありません^^。



合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.03.05

魔を引き寄せる人

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多くの方が様々なシーンで魔と言う言葉を使いますが
その存在に関しての定義は広く
何を指しているかによりよりまったく違うイメージとして浸透していきます。

例えや説明の中で、意識せずに使うキーワードとしての魔と
心霊の世界に携わる方の言う魔
同じ霊能者さんの中でも見え方の違いから意識している魔自体も変化してしまいます
そもそも風土によってもまったく解釈が変わるものです。
アイデンティティ、信心、信仰、
心の奥底に持つその人それぞれの本質でも変わっていきま。

悪魔と魔は同じであり、まったく違う、と言うのがおそらく一番明確な答えとなると思います。
人の世界で説明されているその世界観と、本質はまったく違います。
どこまで行っても人は人の感性で量るしかないからです。
そこで人でありながら仏さまになるとお約束をし、
手を合わせてながら苦を越える為の唯一頂いた今という時間を
苦に飲まれるどころか、楽を求める習慣に浸ってしまうと
ついには願いのポーズとしてしまう事になり
さらに言うなら、自分の為に願っている事が供養していることと錯覚するまでに至ります。

どこにでも生まれ
どこにでも入り込み
どこにでも寄り添い
どこにでも現われます


つまりすべてに縁を結ぶことができるある意味完璧な存在なのです

だから表裏なのです。

常に全てにそれがある


いつなんどきでも、選択をしながら人は生きています
起きなきゃ・・・もう少しだけ・・・・
朝の始まりからすでに選択です^^)


さて、魔を呼ぶという題に添いましょう
誰もが常に触れているとも言える負の領域の中で
無意識に引き寄せているシーンが多いものです

人を憎んだり、怒りに満ちている時などがそれ。
リアルタイムの出来事に関し、理不尽から怒りが爆発する事は誰にもあります
説明は端折りますが
怒ることに関しては人ですから「それは善し」とします^^)、必然として。

問題は強い遺恨の残る心が呼び寄せる時
思い出しては苦々しく、憎しみや恨みを繰り返すケース

これは誰もがそうなるようになっているのですが
その中にあって、一つ一つ無くすのではなく
許していける心を養う為の、長い長い何度も何度も繰り返し頂く
準備期間でもあるはずなのですが
許せなくなる心を養う為の、長い長い何度も何度も繰り返す蓄積期間に転じてしまうと
がっつり心にくさびを打ち込んで根付かせてしまう事になります。
本当は無いほうが良いと分かっているし、それが苦の元凶である事も知っていますが
長い時間をかけてそちらが勝る思考を構築していますので
打ち破るのは並大抵のことでは無理となります。
人生をかけて築いたものですから、
同じく人生をかけて構築しなおす覚悟で「始める」事が出来るかどうかが鍵となります。

陶酔という言葉で良いか分かりませんが
同じような心の酩酊に憎しみや恨みと言うマイナスイメージで浸り
その繰り返しの波動の蓄積は、繰り返すうちに
一つの力を生み出します。

ある程度まで来ると、思い出した瞬間から
その心の周囲に邪気が覆いはじめます。
霊感のある方なら視えるはずです。
この世には良い流れが満ちています、宇宙も含めて。
ですが、人の世には負も満ちています。
この負の波動を引き寄せることに慣れている心を作ってはダメです。

相談に来られる方の多くが、この負の黒い霧に包まれている方が
非常に多いのは言うまでもありません。
だから負にマイナス要素が寄ってきてしまうのです。
それを不運といいます。

その心のレベルに応じ、時には黒い霧が人の形を成して現われる事があります

これは非常に危険であり、厄介な相手となります。
恨みや憎しみ、妬み、怒りなど様々な人の感情の寄り集まりも含め
それらがその人の波動に応じて必要な造形をなし引き寄せあいます。
行き場なくさまよう負と、それに同調する波動を心に持つ生み側の人
つまりお互い様なのです。

どのようにどのくらいの時間で?

人は思い出した瞬間に、肉眼から心の視野に入り込みます。
その瞬間、すでにそちらの側に繋がっているのです。
目の前にはまず現われません、必ず肉眼の視界から外れるように集まり始め
その心に従い造形されていきます。
ある程度霊的な波動の強い人なら大きな黒い人型になっていくでしょう。
足まで完成されると離れなくなると思いますが
まあある程度で意識が別に向いていく事が多いですので
上半身くらいの形成までのケースが殆どですけど・・・・

意識が別に向いたり、思考が変化すると一瞬で散り消えます。
消えますが、無くなった訳ではありません。
いつでも呼び出され、形成再開の繰り返しとなります。

これは生霊とも違い、悪魔とも違いますが
非常に面倒な存在となって行きます。

なぜなら、本体が無いからです


そして故意に生み出そうとするならば
この世の都合をそちらの側で使うなら
その縁はすでに切れない事を知るべきです。
自分だけならまだしも、末代まで切れない罪を作るべきではない。
あくまで「故意によるなら」のことですよ。


無限といって過言ではない人の心が吐き出す負のエネルギーの満ちる世界で

見えないからこそ、大切に感じなければいけない事を少しだけ意識すると
そこにやどる光がみえてきます

ただ素直にうけいれてみると

風の流れが視えてくるものです。



合掌  浄霊師 神島千尋



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2013.03.01

神の気の経路

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全ての働きを統合している経絡が神経
神の気の通り道とも言えます。

神経は感覚の伝達を行う中で
それぞれ幾重にも変化をしながら
感覚も感情も同時に組み合わせ
一つの答えを形で表しています。

その形には裏側があり
そのバランスが「今のそれ」を継続していると言えます。


まさか関係ないでしょ、これくらいの些細な一つじゃ・・・

と思える気にもしない一粒が
その均衡を崩す始まりもあるものです

物理的な伝達のなかには「感情」も組み込まれて伝わるようになっています。
心の状態は肉体にそのまま影響してしまうのです。
だからこそ、身も大切であり、心も大切なのです。

その中で例えば人の目は、心をそのまま現します
視線の方向による人体構造の統計などの話ではなく
生きている人の目に宿る力は
意思や気力をそのまま写しています。

長い間心の闇に囚われてしまっている方とのお話の中で
話し始めと、終わるときの目の違いをいつも感じます。

目が生きると言うのは、作りや視力などは関係なく
つまり表情でも同じですし
姿勢や手足の動き、血色
そしてその人自身から常に発している気(波動)でも
同じように大きく変化します。

その状態を、自分でキープできるようになると
誰でも、元気にな自分でいられます。

元気な自分とは、幸運な事や幸せな感覚のままいられることではなく
それらマイナス要素を、心に留めにくい思考で
同じ今を過ごすことが出来ると言う事です。

なぜこう言うお話を何度も書くのかと言うと
日常は、落ち込みやすい出来事の繰り返しだからです。

何もおきない、と言う方でも
毎日しなければならない事への疲れや、怠けたいと言う感情との
繰り返される葛藤はあるはずです。

それを律する強き思いの継続が、
その段階での苦を、当たり前に打ち消してしまう良き習慣になることで
次の苦へ向かう段階に入ります。

次も苦か・・・・ と思うことはもはやありません。
よし、すでにいくつも無に変えている自分なら
簡単にできる^^!

としか思えなくなっているからです。
自分では自然にそう思えていることも気がつかないほどですので
人にそれをすごいと言われても、なんで?となりものです。

一つ階段をあがるだけでそこまで思考を変化させることができる可能性を
生かしてみたら、すごいと思いませんか?

大変?

いやだな~と思うことを一つクリアするだけ
ただそれだけのことです^^)

ほら^^、ぜんぜん簡単です。

苦手は自分できめたこと。
どうせ起きるなら5分早く起きることなど簡単です。

自分で決めればよいだけなのですから^^。


合掌  浄霊師 神島千尋

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