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2013.04.28

願意

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各界の方々がさまざまなシーンでよくこういいます

「人は夢を持ち続けていれば必ず叶う」 と。

しかしその度にこういう言葉も聞こえてきます

“それは叶っているからそう言えるのであって
 誰でもそうなれる訳ではないよ” と。

ここでどうしても避けられないのは
人の心の捉えかたの違い。

環境や携わる事柄も含め、今の自分の思いと
他の人の思いはまったく違うという事実。

人の尺度はそれぞれで、何をもって叶っているかは
捕らえ方によるのです。

私はお会いする人皆様に必ずお話することがあります
お金を借りたとします。
お金を返しに行き、しっかり全額したとします。
その段階では返済は終えていますので、貸し借りは無しになりました。
その場でもう一度同じ金額の借金を申し込み借りたとしたら・・・


お金を貸したのが自分だとして、返済されたと感じますか?

この答えは二つに割れます

「一度は返済したから、それはそれで終了しているので
 新しく貸すのは問題ない」 

「いやいやいや理屈はそうだけど、それは返したとはいえない」

というように・・・。

どちらもその通りで立場が違えば答えも変わるというたとえなのですが
実は、このお話には裏があるのです。

裏とは、心の世界でもまったく同じことが言えるということ。

心で願い、叶っている事に気がつかずに
そのまま流してしまっていることがどれほど多いことか。

願いをし、次に感謝ではなく願いをし
次こそ感謝のはずがさらに願いを重ね
次第に願いのオンパレードとなり
ここぞとばかりにてんこ盛りの願意を繰り返し

・・・・あれ?
お返ししなければならない事を、考えたことありますか?

まず目の前にあるそれをひとつお返ししてみる
次に二つ返し、考えてみればあれもこれも全部
いただきながらお礼していない・・・・

借り物や頂き物をそのままにしているとどうなるかは
誰もが知っています。

ですが、形としてではない成就は
そのまま頂きっぱなしになってしまうことばかりになりやすく
先にそれをまずお返しすることで、
心のスペースにゆとりが生まれるはずが
次のラッキーを欲することが優先してしまうと
返さずに頂戴、が始まります。
それを繰り返し、習慣にしてしまうと
合掌が願うときのポーズとなってしまいます。

世の中には願いを叶える法則的な本がたくさんあります
インターネットでもそうです。

運気を引き寄せる事ができるかどうかといわれれば
引き寄せることはできます。
それも、極めるとピンポイントで思うことを思うとおりに
引き寄せることができるようになります。
そういう意味では、夢を持ち続ければ必ず叶うというのはその通りです。
それを、現実世界の法則だけで引き寄せようと思うなら無理です
必ずそれには心の側の行いが必須なのです。

すごく簡単です

わかってるけど・・・だめなんですは、
すでにその力を放棄している事になります。

信じるというのは、自分が思う程度の決意ではなく
人生をどう変えるかという決意と貫く姿勢、
そして継続により、その時々の器に応じた流れがその杯に入ります^^!
少ないと嘆くは自らの器を広げればよいだけ。
そう感じると、納得し未熟を受け入れ、精進する源が今一度根本にあることを
確認できる瞬間になります。

そんな感覚を繰り返していると
ある日驚くような事が起こります。

思うことが、その日にそのまま起こるという必然^^。

びっくりします、そのまま実現するのですから。


「やっているけどそうならない、良いことも起こらない」
この言葉がすべてを一瞬で無の戻してしまいます。
目的がそこである、と心の世界に宣言してしまったことになるからです。

だからこそ心の方向をしっかり輝かせておくことが大切なのです。

その輝きを思い出せる場が
手を合わせる空間であるなら
そこはいつもよき流れが満ちていることでしょう。



合掌 浄霊師 神島千尋



浄霊師 神島千尋 MysteryZone

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2013.04.26

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一枚の写真が届きました
何のことはない、普通に室内で撮られた写真なのですが
一つ顔のようなものが見えたが
なんとなく気になりながらも
気のせいとして忘れていたそうです。

ある時、データを整理しようと見返す中で
その写真が出てきて、あらためてみると
明らかにその時とは違う印象で見えるようになり
その後、事あるごとに何度か見るようになり
そのたびに表情が変化していると言うものでした。

確かにお写真をうけとってからと言うもの
物理的現象が起こったのは確かであり
なるほど手にしている人が不調になるのもうなずけました。


早々にお焚き上げ供養をさせていただきましたが
その瞬間まで、撮影された方には
重くのしかかる流れが合ったのも事実です。


姿形が変化するのはそれだけ強い想いがあると言う事です。
恨みならば「はらさねば」
憎しみなら「呪い落とす」
妬み嫉妬なら、憎しみなら・・・
その側で成就せねば、の一念のみの存在となってしまうと
おいそれと説得出来るものではありません。

あるいは力を持って制さねばならぬ事もあるのです。
しかしその力は倒すのではなく
どこまで行っても救うためでなければなりません。

強さとは弱さであり
弱い力を大切にする事で
くじけない芯を頂くのなら
強さとは、示すものではなく
折れることの大切さを学べるのは
負けるときにしか知ることは出来ないのでしょうね^^!

という事は、失敗や負けることこそ
一番強いと思えてきます。


心が入り込むとき
その世界に心を置いている事になりますので
触れることの感性も変化しています。
説明が難しいのですが、
言う無ければ心の感覚(霊的感覚)と
五感の感触との切り替わりの狭間とでも言いましょうか
瞑想と現実の切り替わりの無の領域。

この時に、心で触れているものから
五感の感覚に戻りますので
見えない感触は一瞬でこの世の観念の尺度に
置き換えられてしまいます。
結果理解を超えてしまい、なんだか分からない・・・
と言う現象になってしまいます。

素直に受け止めれば、^^
なるほど、私達がしていることが
ある意味そのまま起こっているんだな~^^!
と視えてくるものです。

例えばポンと触れられたなら
何かが触ったっ・・・! ではなく

もうそのくらいでよしとしなさい!^^
と言われていることだってあるのです。

どんなに言っても聞かんぼうは、
少し痛い思いをせなわからんか?
ときつい表情で示すなら
それをどう受け止めるかは
見る人の心ひとつでまったく違う解釈に
すらなってしまうものです。



合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.04.23

パワースポット

パワースポット

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久しぶりに、昔よく通った山に入ってみました。
澄んだ空気と
平地と違い標高の高さからくる冷たい風と
古くからつながる深く満ちる痛いほどの気で
なんとも内から鳥肌がたつ感覚です。

神仏さまの波動がつながる場には
独特の波があります。
人のこめる念のそれとはまったく異質であり
そこに引かれる魂の多いことこの上なく。

そこでいただく源は
自分の願望に向けるのではなく・・・という意味を
宿る地は結果として見せてくださいます。
選んできてくださるなら、
それにこたえて初めてつながり生かすことになります。

願わないという言葉が出れば出るほど
願っていることに気がつきにくくなるのかもしれません

無に意味はなく
有が正しいわけでもなく
無には深い広がりが存在し
有には深い闇が存在しています。

境内は、浄化されていますが
必ずしもすべてが自分にとって良い都合ではないということです。
天とつながる地
地に宿る天

どちらもその波動は人の都合とは関係なく
しかし、人はその上で恩恵を頂き命をいただいております。

そこにありながら触れることなく
満ちている中に身をおきながら欲する心の塊という生き方に流される
そんな視野を一度捨ててみると良いのかもしれません。

絶対無理、という事こそが人生の中で克服すべき出来事だと
どこかで気がついた時
はじめるか、無理のままの自分を継続するか選択を迫られます。

向上心がある限り
それを成就するために人として今を生きていると感じると
いつもの通りは、もう二度とない今となります。
いかに大切な時か、心ひとつで何事もまったく違う世界に見えてくるのも
心の無限の力です。
あるなら使わずしてどうする^^)とおもいませんか?

意識ひとつで今しているそれは
まったく違うことに変えてしまうことも簡単なのです。

合掌 浄霊師 神島千尋

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2013.04.18

動物霊

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アルプスを見ながらの山越えが
気持ちよい季節となっています。
この時期は気持ちも緩みがちで
ちょっと景色に見とれると・・・危ないです^^;

さて、山道でよく遭遇すのが
車にひかれた小動物さんたち。
間もないころは右往左往している魂ですが
動物は転生も早いものです
(だから良いと言っている訳ではありませんよ)

ただ、そのタイミングと
それに惹かれる心が交差すると
憑いてしまいやすいのもまた動物の本能。

特に同調しやすいのが子供
まとわりつくペットでイメージできると思いますが
感情がストレートな分、纏わるとなかなか離れないものです。

本来足をくじけば即命に関わる野生
まして痛みや苦への対処もできません。

やさしさや癒しの波動を持つ心に触れると
「唯一の救い」と、離れなくなるケースがあります。

この状態に、子供は耐えられません。
なぜなら人でありながら、まだ純真な心のままでいる事が多いからです。
治まらない高熱、風邪でもないのに節々の痛みや鈍痛
なんでもないのに急にめそめそ泣き虫になる、など。

そして素直な感性はそのまま痛みを感じます。
首周りにしがみ付かれていれば息苦しさと首の痛み、
腕にしがみ付かれていれば腕が上げられないような鈍痛やだるさ
足に憑かれていれば横になったまま足の痛みを素直に訴えます。

そんな時は何枚かお写真撮ってみると、動物さんは比較的写りやすいです
そんな動物さんたちは、やさしい心で触れてあげ心の供養をしてあげると
すぐに上がっていくものです。


小中のお子様が、それまでそんな事が無かったのに急に
泣きやすくなったり体調を崩すなら
あるいは、受けなくても良い想いを受けている事も無きにしも非ず


合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.04.14

桜雪

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やっとこちらでも桜が満開を向かえる頃となりました
まだ寒暖の差が大きいですが
日中は暖かい日差しがありがたいです。

風の冷たさを肌で感じる早朝も
寒中に比べれば嘘のようなやわらかさで
なずなやふきのとうなど
そのほろ苦さもこの季節の始まりですね。

タイヤをノーマルに交換したかたも多いと思いますが
イレギュラーなドカ雪もまた毎年あるもので^^;・・・
5月に大雪が降ったこともありますので、まだありそうな。

朝起きて、うっすら雪化粧
このくらいなら良いのですが^^)


さて
例えば毎日これだけはする、と何か一つやる事を心に決めたとします
玄関の掃除、洗い物、ランニング、ダイエット、英会話、お料理etc
何でも良いです、例えば毎朝必ずお茶を一杯飲むでもよいのです^^)

それを繰り返し継続していると、それをするのが日課となります。
日課ですから当たり前になります。

さて、ある時忙しくてしないまま行こうとするとき
心の中で「やってない・・・時間無いし・・・」と大なり小なり心のなかで葛藤が生まれます。

心で決めたことを、それまで日々繰り返して来たことに対する自負と
そこから築いてきた「決めたことを出来ている結果に比例する自信」があるからです。
その自信が揺らいでしまうかもしれない出来事が、継続を止める流れ。

その心の負担を少しでも軽くする為には、自分が納得できる明確な理由が必要です
時間が無いので、致し方ない、帰ってきてからやることにしよう、と。
しかし、その繰り返しは即週間となるもので、
一度あった事は、次からは罪悪感が半減し、その次にはすでに当たり前になってしまうものです。

積重ねは難しいものですが、崩すのは一瞬です^^!

でもそれって大切な経験でもあるのです
それなくして成長が生まれませんもの^^。
壊しては作り、壊しては作り
同じ繰り返し?

いいえ違います^^
次の積み重ねは以前とは桁違いの組み方となっていればよいだけのこと。
同じ作りなら壊した意味も無くなってしまいます
その時犠牲にしたすべてが、次も同じ構造なら無になってしまいます

壊したものを追いのではなく
壊したものを生かす次にすれば、無駄は無いのでしょうね。

誰が何を信じるも自由です
信仰や宗教を心に生きるも自由です

誰に、なぜ手をあわせているのか、
その意味を心でしっかり受け止め感じているかが大切です

それを踏まえた上で何度も言います
もともと信仰や宗教は人に必要のないものです。

しかし、そこにある大切なものは常に心の中心にあるか
人はその生き方で常に問われています。

すごいですね、宇宙の中にある今ここの空。


道を見失うことって誰にもあると思います
また分かっているけど気力を失い進めないこともあります。

そんなときはそれはそれでよいのだと思います

一度区切りをつけなければ次は始まりと認識できないなら
どれほど次を欲しても来ない理由が見えてきます。
つまり区切りを自分の心につけてあげる事が
まず先にあるべきかも^^)



合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.04.10

無題

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自分の人生ですから
自分で決めて生きるのは当たり前です

何となく面倒で後回しにし
今の楽を優先しながら、
心ではやらなければいけない事が押し寄せてきそうになりながら
何とか乗り切り、今の自分の都合の安定を保ち続ける・・・

その波動に染まりきった目に映る範囲は全て
その気で満たしきった状態です

外で別のことを行い、気分が変わっていても
帰宅した瞬間に、一瞬で満たされた自らの気に引き戻ります。

現実に戻るように。

気持ちと体の連動が人の持つ力をしっかり生かすなら
視覚的効果はこの世界ではとても重要となります。

身支度
持つもの
見える配置やアイテムそのもの

薄暗い部屋ではなく明るく開放感があるのはそのまま心につながりますし
空気の流れと気の流れはまったく関係ありませんが
空気の流れが割り所は、気持ちの暗転につながりますので
通すことはとても大切です。

鏡はそのまま映します、それは跳ね返すという意味にもなります
つまり汚れていれば跳ね返せなければ力が弱いと言えてしまいます。

心も同じこと
負けない気持ちが、前向きな活力になるのは当然なのに
自分を信じれない言葉を人は吐くことがあります

もうだめだ・・・
無理・・・
どうせ・・・
いつもそうだ・・・
なんで自分ばかり・・・
何か憑いている気がする・・・
運が悪い・・・

言葉は波動です

波動は心の気

はじめから言葉にそれをのせてしまうなら
言霊はそのまま周囲に浸透していきます
なぜならば波動だからです。

言葉は何も話すだけではありません
文字にも気は宿ります

すべての物に宿るものがあります
それが三次元であっても、二次元であっても、言葉でも文字でも同じこと。
そして心で思うことも全て同じ流れの中にあるのです。

必然は常に起こります、必然ですから
ですが、受け止め方一つでまったく違う解釈になるのです。
悪が善であることも
実は善と分かっていて、あえて悪のままにしていくことも沢山あるのです

人の心の思いは常に念として発しています
念も良い念として貫けば、良い呪として働くことになります。
その思いを信じて継続するところに信念はうまれ
信念は、曲がったものをまっすぐにする大きな力を持つようになるのです。

昔、ずっと昔
幼い頃、
父が長年使い続けているくわがらの柄が
弓のようにくの字に反っていたのをいつも気になっていました

これ曲がってるね、と言うと
そろそろなおそうと思ってるんだ、と父

変えるの?と聞くと
変えないよう、まっすぐに戻すんだ、 と父

どうやるの? と聞くと
信念で戻すんだよ、 と父。


なるほどね^^)


合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.04.06

例えば地球が滅ぶ時

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誰が何を考え
どう行動しているか

皆それぞれの感性によります。

その感性には、
この世界の基準に染まることで
ぞれぞれの動き、流れとなって行きます

それがよいかわるいかは
実は今の自分が一番分かるようになっているのです。

一番分かると言う事は
常に見ているし知っているし
分かっている触れてもいるという事です。

それを見えなくし鈍感にさせていくのがこの世界の意味でもあるのでしょうね。

日常で当たり前にしている全て
それを分かる形にし、
いつも目の前で見せて教えてくれているのです。

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それを五感ではない、心の感受性で受け止めていながら
気がつかないふりをし、うまく避けていくうちに
それが当たり前となり、すぐに普通にスルーしていく・・・

「逆らうのではなく受け止めて、こちらがそれをどう学ぶか」

相手を変えるのでは自分が変わることで
自らの心に新しい繋がりを作るのでは呼び戻すように取り戻していく。
作り上げるのではなく、本来の光を表に出していくことが大切と感じます。

さだめなら、それを変える事はできません。
しかし、さだめをどう受けとめるかは
誰も自由に選択できるのです。

これがとても大切であり
人は最後にここに行き着くのだと今私は思っております。

もし明日世界が滅ぶなら
怖がるのではなく、安心させられる魂でありたいと感じます。

その感性に頂く応援は
時にこの世界では信じられないようなことを見せてくれます

今起こること、今うけること
心はどちらにも受け取れるようになっています。
なぜならそれが宇宙だからです。

どちらで受け止めても、同じ今です。

マイナスに引かれた心にも惹かれる存在があり、
そこに対極がバランスを成しているなら
選択は今を生きる人の心そのものとなります。

一つの不安に、追随する不安がいずれ小さな負の輪を生み
その輪がいくつか寄り集まることで大きな負の流れを成します。
その輪に囚われる心は、抜け出すことすら困難になり
そのままいつか自らがその流れの一部の存在となると・・・
あまり書きたくはありませんが、
一族に不運の連鎖を作る始まりとなってしまう事も無きにしも非ず。

心は自分だけではなく、
全てに通じていると言う事を目を閉じて感じて欲しいのです。
そしてどこに向かい、何をすべきなのか。
大儀などありません、誰にも。
ですがしなければならない事が誰にもあります。
とても大切な事なのに、重きを置かれないどころか
軽視してしまうような感覚に飲まれてしまうと・・・
今生ではどうにもならない事すらあります。

感動する事
心が震えること
やさしくなること
そんな些細な波動に、
空間に満ちている小さくてまぶしい光の粒子が応援してくれるのです。
その応援をいただける人は、流れを生みやすくなります
流れがあれば何をしてもつながりやすいわけですからうまく行きやすくなります。
この繰り返しが継続されると、やがて大きな流れに繋がり
思うことが実現しやすく、そちらから応援されるようになります。

するとね
人は自然に無理しなくなるのです^^

成すべきことが見えてくるから。

そう言う人は、悔いがない今を積重ねているはずです。
だからゆるぎなく、そして強いのです。

そんな人に、明日地球が滅ぶとしたらどうする?の問いに
皆、同じ答えが返ってくるようになります。


私?

何もしません
いつもと同じです。

だってそれがさだめですもの^^)




合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.04.05

大父?

寒暖の差が大きいですが
それでもやっと桜がさきはじめた東信

新入学なのでしょうね、おべべを見ると
それだけで春をイメージできていしまいます。

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そんななか、大掃除をしていましたら
皆が笑うんですよ・・・

私を見て大笑い 、「キヨシさんだ」 と。

誰???


あ~
ビッグダディ  ^^;


言われてみれば(苦笑


すみません、時事でした。





合掌  浄霊師 神島千尋

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2013.04.03

難しいからこその区切り

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浮かばれぬ想いとは本当に強いもので
いつまでも変わらぬ強い意志が
憎悪や強欲に飲まれてしまうと
心そのものがそのままの塊になってしまいかねません。

久しく忘れていた逃げ場のない囲まれ方をしました・・・

いつでしたか、
車で移動中、前後を挟まれたことがあります。

今回は肉体の周囲に複数のご霊さまはじめ
いくつもの様々な想念が現われました。

人の肉体にストレートに影響を出す強い思念が存在するのは事実です。
肉体を操ろうとしますが
それらの霊にはある特徴があります。
誰にでも憑く訳では無いと言う事です。
しかし影響を受けると、絡み方が半端なく強く
なかなか離れようとしません。
それどころか見方を装ったり、共存すべく振る舞いを見せてきます。

護身ある者には寄る事は出来なくとも、
無防備な時や、隙あらばと常にうかがっていることがあり
強い守りを持つがゆえに、それを崩されると
逆に居心地が良い場に転じてしまうこともあるのです。

始めたら継続、この大切さを
そんな苦の始まりから知る人もいます
しかし、苦を滅することは、最初の始まりから比べたら
その道のりの長さに、
いかにそれまでがありがたかった・・・と思い知る事にならぬよう
良き習慣にすべきなのでしょう。

貫き通している継続の有む、身を包むつながりは
通常目に見えませんが、
実は常にその流れは働いているもので、

分かりやすく例えると
「手を出そうにもどうなるか分からず怖くてなかなか触れられない状態」
そのうち、動き出されてあわてて隠れるように消えていく・・・
そんな波動を誰もが持って生まれてきているのです。

それを護身と言います。

護身法はまた別の話しですが、元々人の心と体のバランスで発する波動は
そもそもそれ自体跳ね除ける力も持っています。
生かせるかどうかは心に貯めている苦の大きさによります

敵を作りやすい人
仲違いしやすい人

原因も様々と思いますが
配慮に欠ける言動や行動は
いずれ自らに戻ってきます、上乗せされて。
その増えてくる部分は、類は友で言われる同じ派動は引き合う構図となります。

その心に寄り添うように、引き寄せられるように
時には怒りで自ら引き込み、時には取り憑かれるようにのしかかられながら
長い時をかけて積重ねるように築き上げられた一つの集合体は
離れようにもがんじがらめで抜け出せない・・・
そんな状態も少なくなく
そこに生まれる日々の抑えられない新たな怒りが発する思念の強さと言ったら
想像するに難しくないと思います。

だからこそ、まず自らの発する気を整えることが
最初にしなければならない事であり
最後までそこに意味があると感じます。

人は誰でも憎んだり恨んだりします
それは心の持っている大切な働きだから
許せない事は感情として表に出すのも大切です。


しかしそれを継続させてしまうと、
それは時の長さに比例し

  呪 となります。

思い出すたびに蘇らせる憎悪の繰り返しは連鎖となってしまいます


時がきたら一区切りつける^^。
これなかなか難しいと誰もが言います


だからこそ区切りとなるのです。
簡単ならすぐ戻ってしまうもの^^!


合掌  浄霊師 神島千尋

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