尺

一枚の写真が届きました
何のことはない、普通に室内で撮られた写真なのですが
一つ顔のようなものが見えたが
なんとなく気になりながらも
気のせいとして忘れていたそうです。
ある時、データを整理しようと見返す中で
その写真が出てきて、あらためてみると
明らかにその時とは違う印象で見えるようになり
その後、事あるごとに何度か見るようになり
そのたびに表情が変化していると言うものでした。
確かにお写真をうけとってからと言うもの
物理的現象が起こったのは確かであり
なるほど手にしている人が不調になるのもうなずけました。
早々にお焚き上げ供養をさせていただきましたが
その瞬間まで、撮影された方には
重くのしかかる流れが合ったのも事実です。
姿形が変化するのはそれだけ強い想いがあると言う事です。
恨みならば「はらさねば」
憎しみなら「呪い落とす」
妬み嫉妬なら、憎しみなら・・・
その側で成就せねば、の一念のみの存在となってしまうと
おいそれと説得出来るものではありません。
あるいは力を持って制さねばならぬ事もあるのです。
しかしその力は倒すのではなく
どこまで行っても救うためでなければなりません。
強さとは弱さであり
弱い力を大切にする事で
くじけない芯を頂くのなら
強さとは、示すものではなく
折れることの大切さを学べるのは
負けるときにしか知ることは出来ないのでしょうね^^!
という事は、失敗や負けることこそ
一番強いと思えてきます。
心が入り込むとき
その世界に心を置いている事になりますので
触れることの感性も変化しています。
説明が難しいのですが、
言う無ければ心の感覚(霊的感覚)と
五感の感触との切り替わりの狭間とでも言いましょうか
瞑想と現実の切り替わりの無の領域。
この時に、心で触れているものから
五感の感覚に戻りますので
見えない感触は一瞬でこの世の観念の尺度に
置き換えられてしまいます。
結果理解を超えてしまい、なんだか分からない・・・
と言う現象になってしまいます。
素直に受け止めれば、^^
なるほど、私達がしていることが
ある意味そのまま起こっているんだな~^^!
と視えてくるものです。
例えばポンと触れられたなら
何かが触ったっ・・・! ではなく
もうそのくらいでよしとしなさい!^^
と言われていることだってあるのです。
どんなに言っても聞かんぼうは、
少し痛い思いをせなわからんか?
ときつい表情で示すなら
それをどう受け止めるかは
見る人の心ひとつでまったく違う解釈に
すらなってしまうものです。
合掌 浄霊師 神島千尋
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