どう成す

往くべきところに
成べくして納まる
なるほど
成就とはやはり
先にすべき事に気がつく事なのですね
全ての結果がそのままではなく
今は経過であると捉えれば
それも必然であり
だからこそ、今をどう転じるかに意識を集中する事で
後の本願が、時と共にあるいは形を変えていずれ来るなら・・・・
その中に身をおきながら
そうとは気がつかない心のままの自分では
結局いつもと同じままであり
繰り返しであり
その積重ねは通じない重さの上塗りで
年を重ね体力が落ち続ける頃になって苦ばかり増える事ばかり・・・と
成らぬように、心のどこかで囁く
本当は分かっている「それ」を
まず一度、動かしてみる事が大切です。
どれほど人を責めても
どれだけ憎んでも
戻せぬもの、変わらぬものならば
心と体双方で同じ負のまま塊になってしまいます。
対極のバランスを少しだけ意識なさると
そこに少しずつ渦のような流れが生じます
その流れは次の渦を作り、その連鎖で後の大きな流れの輪の始まりとなります
それを信じて今を生きてみるのも悪くありません
だって、他のなんでもない自分の心の変化を信じてみるのですから
誰も裏切りませんし、そこには誰も介在しません。
自分の思いで自分の流れを、生き方として信じ行動し継続しているうちに
それが普通となり、それが自分となっていきます
それを人は、そう言う人として見るようになります
癖があっても、個性が強くても
信念があるところに繋がる波動を人は
一目置くようになります
なぜならば
霊感がそう感じさせるからです
それが人の発する気の強さであり
その人の心の波動 その物ですから
そこにゆるぎない自信と誰にも負けないという思いが
継続の力で無意識に大きな柱として心の支えになるのです。
旧友に会いました
互いの志のなかで
それぞれの道を歩んでいますが
垣根を越えての枠もまた
大きな意味を持つのだろうな~と^^感じつつ。
久々の夜更かしもまた心地よい疲労感であり
不思議と疲れも残らないものですね^^)
人とは面白いものです。
私は思うのです
いつか、
違う業種や違う環境のそれぞれの方々が
同じ感覚でそれぞれの今を同じタイミングで動かし始めたら
それは世界を変えることになるだろうな~と。
しかしそれを宗教や信仰で動かそうとすると
必ず反発や拒否が生まれ、時には対立となるのは
人の心の持つ当たり前の出来事となります。
信仰心は大切です
しかし人の世の都合による勧誘ではなく
自らが信じることを自らが生き方で貫けばよいだけと感じます
だからなぜそれをされているのですか? の 問いに
その時不運やうまくいってない事ばかりでやればよくなるといわれて
とか・・・
これをしないと助からない言われた
とか・・・・
そんなお話を聞くたびになんだか悲しくなります。
恐怖を植え付けているように感じてならないのです。
どうあがいても、なるようにしか成らないなら
どう迎えるかが問われているのであって
それを選択するは自身です。
まあ あくまで例え話ですが^^)
合掌 浄霊師 神島千尋
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