浄霊

霊を浄化するとはどういうことでしょう
それを自分の生きる道としている方により
説明は異なるでしょう
ですが、共通する言葉があります
光
あ・・・どこぞの宗教云々とは無関係ですよ、はい^^;
魂の波動(それに限りませんが)は、様々な視えかたをしますが
一般的に共通する認識として広く使われるのが光として見える状態。
比較的簡単に視ることができる波動と言えます。
正直誰でも見えるはずです^^)
そう感じてないだけで、
日常の中で常に見えてはいるはずです。
どこに意識が向いているかで人の視野は
写ってはいるけど認識するかしない事が多いものです。
それ何?
どれ?
それだよそれ!
何が?
隣に置いてある丸いの・・・
は?・・・これなんだ?全然気付かなかった。
と言うように
何度言われても目の前にあるそれに気がつかない
こんな経験だれにもありますよね。
目には写っていても意識がそこになければ
見ているのに視ていないとなります。
心の世界も同じことが言えます。
常に人の周りに存在し
常に関与しているのに
誰もそこに目を向けようとせず
結果、助けていただいていることも
護っていただいていることも気がつかず
当たり前にすごしているうちに
本当はありがたい今の繰り返しのなかに居ながら
不平や不満、愚痴や文句を言葉と言う波動で
周囲にまきちらす・・・
それでも求めるのは、幸運・幸せ
「何かいいことでもないかな~」
ではここで気持ちを切り替えて
自分がそちらの存在だとします。
__________
もっと輝きたいけれど、
今の自分の光になるまでに
これまでしてきた事を考えれば
精一杯の光だな^^)
少しでも心穏やかに
すこしでも前向きに
すこしでも強く広く高く
その思いを光の波動に載せて後ろから
何度も何度も
繰り返し繰り返し
止む事のない波紋を波動として送り続け
幼かった君が家族を持ち
自分がしていた事と同じ事を子供がすると
やってはいけないと叱っている。
子供は泣きそうな顔で君を見ていると感じているが
その幼い目は君ではなく
私を視ていることに気がついて欲しい。
それを知る心と
それを知らない心では
そもそもステージが違っているのだから。
命を頂き、長くも短い人生の中で
心の奥深くで気がつかなければならない
大きな大切な課題が存在し
例えば子供がどこを見ているか
子供を通して視せることで
気がつけるかどうか問われているなら・・・
自分の倫理観を押し付けることを教育と勘違いしてしまう心が
自分がするのは良くて人がするのは許せなくなってしまいます。
________
押すより
退くほうが
難しいのです。
退ける心に
無理は遠ざかります。
しかし、退くためには押す力も持っていなければなりません。
これがバランスであり
どこに比重を置いているかの答えが
今の結果となります。
その結果の継続が安定となるなら
その安定は負に染まらない魂という事であり
心の浄化が成されている日々となります。
浄霊とは、己の心の浄化であり
つまりは、さまよう必要のない魂を
人生のなかで培ったとなるのでしょう。
それが次の時代になるなら
今邪気の多いこの世の意味が見えてきます。
合掌 浄霊師 神島千尋
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