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2014.01.29

魔と化す

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人の心が極端に偏り始めている現代の中で
心の発する波動の蓄積が何をもたらすか

誰も気にしていません。


自然界はそれを常に現象として見せてくれているのに・・・



煙は立ち上り

花粉は風邪に流され

人の作りだした毒もまた漏れてはたまり


どこかに行き着きます

それぞれの性質により
広く分布する事もあれば
その場に染み入ることもあります


ポンポイントであつまり
蓄積が濃さになることもあれば

周囲に満ちることで一見感じないが
そこに身を置く間、少しずつ染まっていく事もあって
それも階層や領域となって行きます、見える世界と同様に。


さて、人の思念は強い波動となり
様々なところに影響をだします。

人を呪うこともでいれば
人を救うことも出来ます

心配や願いは、そのまま波動として相手に届いています
それを受ける側はそれとは知らずに受け取っています。

これを説明すると長くなりますので端折りますが
インスピレーションとはそう言う事なのです。


この波動を強く出せる人がいます
言うなれば先天的に。

そのタイプの人は、無意識ではあっても
それを武器として使っているものです。

長いときの中で、自分の人生の統計を持ち
自分の性質をなんとなく理解していくものですが
それを、自分の都合で使うのか、
人生の流れの中で成すべき心のフィールドの

開放に向けるのか・・・

その決断がその人の霊性の向上そのものになります。

人は誰にも喜怒哀楽があります

感情があるから人なのです。

怒ることも大切です^^)
いらいらする事も必要なのです^^

妬み嫉妬も、大切な感情の一つです。


それを、10年後、20年後・・・
いやいや^^;

10代、30代、50代と人生の中で捉えてみてください

同じ事を同じ感覚で

それぞれの年代を継続しているとしたら・・・

よいと思いますか? 今の自分のそれ^^!


行いに応じた結果が因果なら
今の結果は誰が何を言おうが
そもそも自分にも撒いた種があるのです。


ならば刈りとるのはこれ当たり前のこと。


この種を種と感じず
感情にながされ思い通りに押し通している我そのものが
「気」と言う変質しない芯の入った波動と言う種なのです。

その種は土に埋まるのではなく
周囲の全てに波紋のように広がり染み入ることで
周囲に見えない色としてうっすらと隙間無く行き渡ります。


これをこの世界では
香の煙として見せてくれています。

静かに、しかし隅々まで行き渡る。


感情の中で怒りや憎しみの波動はとても強く
一瞬で入りを塗り替えるほどの波動を放つことになりますが
その波動は染み入ると抜けないものです。

人に向ける恨みは相手の肉体に刺さります

受けた側はそれを目で見えませんので
抜くこともできず、思い出されるたびに飛ばされるので
増え続けるばかりです。


でもね・・・
飛ばしたものは自分に確実に戻ってきます

それが因果です。


そんな心の偏りや負の影響を持ち続ける思念には
繋がる領域があります。

修行者や悟りを得ようとする方々が
あるとき突然扉が開く瞬間があります。
それも同様で、無限の領域の中に
それこそ宇宙そのものと同様に様々な流れがあり
その人の持って生まれた霊性や思考により
繋がる先は絶えず変化しています。

求めるものと、到達できるかどうかの試練を打ち破るだけの
行いと思考の継続があって始めて少し少しずつ、
それこそ糸一本一本つなげていくように大切に
積重ねる時間が、人生なのでしょうね。


ところが、これもすごいと言えば凄い構造ですが
人を憎む、妬む、恨む、などの思念は
修行するよりも簡単に「継続しやすいのです」

だから、無理なく対極の領域に繋がりやすく
時にはそれを力として使おうとすら考える人の心には

やはり魔が存在するのです。


その魔を、自分の都合で使い続けるほど
自身が魔と化して行き

そんな思念の領域にアクセスしやすくなり
つながりと同時に増長され
いずれ制御できなくなりかねません。

その終焉は肉体を失ったとき
我を求めさまようことになります。

その心にどれだけ言霊を送ろうと
届くことの無い、
憎悪の塊になってしまっている黒い影の帯が
行く先々の地や家に渦巻いていることの多い

この頃です。



合掌  浄霊師 神島千尋

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