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2014.09.21

千の手の慈悲

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一つを決めたら動じない

人の生き方は人の数だけありますが
自分が決めて口にしたら通すことが大切。

自分の道を通しているなら
そこに嘘が無い限り道は開けていくでしょうし
流れは本流に向かい、広がりを感じながら進んでいける事でしょう。

しかしもし繋がらないとするなら
それは悲観する必要も無く
そこでいただける学びを素直に受け入れてみると
その一瞬で心の世界は上に向かいはじめ

その段階から一気に広がりはじめるものです^^)


つまりどちらにしてもプイラに転じていけると言う事です。


逆を行くなら閉ざされていく足掻きとなり
耳をふさぎ嘘を積み重ね体裁で虚像の世界を演出し
その中だけでプライドを振りかざす支配の世界となる
歴史がそれを見せてくれています。



  千は数ではなく無限

  無限は宇宙

   宇宙は広がり

   広がりは縁

   
    縁は心に返る

千手観音を眼で頂く時
その巡りを想いだして
心で回想してみてください。


すると一つ一つの手がどうありたいか視えてきます。



その手はその心をけっして逃しません



隙もなければ

揺らぎもない




この仏さまの廻りに
あらためて心の世界のとおり方を見せつけられた気がしています。



必然ですが^^;

どうしてもこの言葉になりますね

不思議・・・   と^^。




合掌  浄霊師 神島千尋

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2014.09.14

水晶に宿る

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気がつけば水晶の純粋な波動に魅せられ
もう30年になります。

最初に手にした水晶は加工された六角柱
しかし身に着けてからすぐに不調となり
それでも我慢して着け続けてみたものの
まるで風邪のような症状が収まらず・・・
はずしたら翌日には改善する。

気のせいかとつけるとまたその症状に襲われ
はずすと治る・・・を繰り返し

そんな体験から、水晶の波動に
興味を持つようになり今に至るのですが^^;

同じ大きさだから同じ強さや波動 と言うことはまったく無くて
それぞれの個性や結晶の成り立ちなども含め
全て違いがあるから面白いのですが

そもそも、それを持って金運が上がるなどの考え方は
それ自体の心の波動が水晶に影響しますので
逆に遠ざかることも知ってください^^)

追うと逃げるものです。

透明感は純粋にそのままを映します。
映したものを増幅しその方向の流れを強くします。
形には意味があり六角も球も反射を繰り返します
エネルギーで言えば増幅を意味し
流れで言えば入ったものは出にくい、となります。

ここで大切なのは、水晶自体に変わりは無いのですが
そこに介在したことのあるものが影響を出していないか・・・

掘り出され
運ばれ
売買され
加工され
人手に渡り
問屋を回り
流通の流れに乗り
販売元に置かれ
多くの人の波動に触れ・・・

と言うようにどれだけの気に触れてきたかを考えると
どこを流通してきたかなど誰も知る由はありません。

例えば^^;極論ですよ。
それを持っている方が亡くなっていることだってあるのです。

何が大切かと言うと
まずしっかりと浄化をする事!

この浄化が成されていなければ
それまでの気がそのまま残っていることになります。

その気が自分と折り合えば問題ないと思いますが
波動同士が合わない場合、
または桁違いの波動 であった場合・・・

心では違和感を感じますし
敏感な方や受身の波動の持ち主は
肉体的な不調が現われます。



そしてもう一つ
同様の不調の原因の理由に、器があります。

そもそも、マイナスの要因を持っている方は
逆に良き流れの波動を拒否するように
不調が起こることがあります。

この場合は、
自らがその波動について行けるようになることが大切です。

心霊の世界に興味があり
スポットなどに行ったり、
霊感が強くなる願望や行いに興味がある方などで
水晶によって頭痛や不調を感じる人が少なくありません。

この場合は、少しずつ慣らして行くしかないです。

霊感を磨くのは悪くはありませんが
それが何の為なのかを常に天は見抜きますので
言葉と行動にズレがあれば
その因果が今の自分の状態として答えを見せてくれます。

透明感が強く大きいほど
その波動の波紋も強く大きいものです。

希少な最高グレードを大切にしてください。


合掌  浄霊師 神島千尋

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2014.09.11

自らの負を身代わりで打ち消す可能性

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最近彫ってないな~^^;

無になって集中したいと思いつつ。


~~~~

前にも書いた事がありますが
身代わりには感謝で供養しましょう。


大切にしているもの
長年愛用しているものなどには
持ち手の波動が宿ります。

元々物にも波動は存在しておりますが
持ち手の波動に染まっていき
独自のバランスが生まれます

その調和が感覚として感じられるのが好みとなります。
調子を左右する事もあるアイテムは、
つまり作ることも出来ると言う事です。

さてこの世界で大きな波を作る一つ、念。
人の心は常に波紋のように波動を出していますが
それを物に当てれば、その波動 のこもったものになります。

念入れと言われるものがそれであり
つまりその人の波動が入っていると言う事です。

念は人それぞれ持って生まれた個々の魂の方向性によりますが
皆違うものですから、波動同士波長の合いやすいものもあれば
どうにも調和のとれない事もあります。
合う人と合わない人がいるのはそう言う事です。

つまり物も同様に、他人の波長が宿っているものを手にしたとき
しっくり来るものと、なんとなく想像と違うと感じる
説明できない違和感がまさにそれです^^)


さて、愛着を持っているものはある意味分身と同様で
理屈ではなく、潜在意識で生活の中や人生のなかで必須と
感じ大切にしているものですから、
波動 やエネルギーだけで感じるならばその人と一心同体と言えます。

違いは一つだけ
私欲が存在していないと言うこと。

連動している事でそのものが生きているならば
言葉で説明するのは難しいのですがあえて言うならば・・・

喜んで身代わりになる、という事です。


おそらく誰もがここでこう言う想像をすると思います。



負や邪気、また念を身代わりで引き受けることで
自らの役目を終える・・・と。



   ・・・確かにそれはあります。



しかし今回お話したかったのは逆です



持ち手自らが発する負の念を引き受けることで
持ち手を守る自己犠牲もまた存在すると言うことです。

物自体がそうでなくても、つまり人それぞれが
それぞれの縁をいただいて護ってもらっています

外部から来る障害から護るだけではなく
自らの魂の発する負の連鎖を気が付かせる護り方も・・・・。


大切な存在との別れとは
実は一番大きな気付きの時でもあり

意識の切り替えと言う、それまでの心の浄化への
大きなターニングポイントと出来るチャンスともいえますね。



余談ですが・・・

心霊の世界に携わる人が怒りを持つと
その余波は、そうでない方とは比べ物にならないほど
大きなものとなります。
この業界の人がよく言うのが
自分の家の家電がよく壊れます^^;、というもの。

これって霊的な影響によるものも当然ありますが
そもそも自らの心の波長の影響によるところも大きく
さらに言えば、神と名乗る力を貸す側の存在の暴走も・・・

・・・・

いやいや・・・このくらいにしておきましょう^^)




合掌  浄霊師 神島千尋

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2014.09.06

時は変わるもの。

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力で掴むと引き寄せることは出来る
でも手を離すとすぐに離れて行くものである。

物に宿る気は、それぞれの波動で押し退きを繰り返すからです。

そもそも始めて触れるものには警戒します
いつでも離れられる気構えがそれで、
つまり心一つで反発を生むことが出来ると言う事です。

磁石も同局同士反発するが、力でくっつけておく事が可能です。
それを継続していると、疲れてくるので加減を加えます。
しかし緩めすぎるとポンと離れてしまうので
あわててまた力を加え押さえ込みます。

一見制したつもりが、永遠に続く訳もなく
押さえている力に限度が来ることで、少しでも苦を軽減しようと
姿勢を崩し、何とか他の方法を模索しながら
微妙なバランスを繰り返すことで
逆に戻れなくなり、さらに汗で滑りやすくなりつつ
その反発を残りの力でねじ伏せたとて

結局離れるものは離れるがさだめ。

そこで受け入れれば力では無理と悟れるが
それが出来ない囚われた流れはさらに強い力で囲い作ろうとする

すでに高い壁ができているなかでそれを行うと
・・・・自らがそこから出れなくなってしまう。


この世はそれを経験できる唯一の流れであって
もし間違えたなら、もう一度チャレンジできる可能性を
秘めている場でもあります。

思いやるとは
目に言えるものではありません。

心でどう思うかであって
それを実践できるかどうか
ただそれだけなのです。


誰もが心を持ち、その心の感性が喜怒哀楽なら
それを大切にする事が次のはじまりかもしれません。

喜ぶ気持ちを感謝で表す
怒る気持ちを感情で表現する
哀しい気持ちを静かな波動で耐える
楽しい気持ちを行動で表す

どれもあって人であり
どれもあって向上になるなら

どこでそれを転じるかが問われているのでしょうね。

喜びすぎているといつまで喜んでいるの?となります
いつまでも怒りを消せない心は修羅になります
悲しみは心のフィールドを広げる大きな試練
楽しみばかりでは堕落します。

そしてそれらをコントロールしている基点が存在します。
どの感情にも、折り合いと言う潤滑感覚。

嘘と言う潤滑はその場凌ぎの代用ですので
必ず歪が後の責任として返ります・・・人生と言うスパンで。


もう時代は
変わらなければいけないところまで来ていると感じます。

本当に霊がいるかどうかではなくて
恐怖を植え付けることでそこに意識を繋いでいることの方が
問題だと本気で思っています。

実際に霊的な現象は多々存在します。
しかし、それを言われるまで気にもしていなかった方が
次々繰り出される恐怖のキーワードにより
自らの命の危機と言う暗示にかかり
それが原因でそれこそ日常生活を
送れなくなっている事の多さを見ると・・・


伺う先々で、お仏壇に新しい大きなお位牌を作らされ
中央に掲げられているシーンをよく目にします。

部屋の周囲に盛り塩が多数配置され、
御札が無数に張り巡らされている。

別にそれ自体悪いと言っていません。
何が言いたいのかと言うと、

それが何で
どういう扱いをすべきで
それにより成すべき事が生まれるはずですので
その為の心構えや、お迎えの仕方
そしていつまでそれを祀るのか
継続するなら、必ず継続する為の作法があるはずです。

それらをどの家の方も、誰一人説明できない・・・・

つまり・・・極論で言うなら

「やりっぱなし」

となってしまうのです。


2,3年ならまだしも、
5年・10年以上前のままというケースが少なくありません。



人も物も、
この世の出会いも
心の世界への願も

縁結びです。

結ぶと言う事は増えると言う事。

いつまでも結び続けるとどうなるか・・・

言わずとも分かりますよね^^)



持ちきれない荷物を持とうとすると
結局落としていまします。


つまりそう言う事です。


ではどうるれば良い?


簡単です







必要の無いものを手放せばよいだけ。







合掌  浄霊師 神島千尋

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