さだめ
人は必ず人としての生を終えるときが来ます
その際、その流れのなかで司る存在を感じる人が多く存在します
死神と呼ばれる流れ
そのケースは経験しておりますが、
浄霊師として感じるのは避けようのないものもある、という事。
私の視方の中で、流れをいろで現すなら
亡くなり方にもよりますが
葬儀や法要の中で、そちらとの道のつながり方の一つとして
霊帯が無数に集まりモヤのような空間として視えていたり
重い空間であったり、流れの作り様の無いほど澱んだ無の場は
常に夕方のような景色に視えています。
すでに空間自体が現在ではないような
ある意味異界と言って大げさではない色合いの中で
受け継いできた一族さまとお会いすると・・・
個々の相談を承る流れなどではなく
心をリセットし
「なぜ私がそこに行くべき縁として選ばれたのか」
そこから始めなければと感じます。
浄霊師として言わねばならない事があるとするなら
時には・・・
どう終わるべきか、をお伝えしなければならないことも
あると言うことです。
そのための言魂であり
何が大切なのか
なぜ今ここにいるのか
人はどうあるべきか
忘れてはいけないもの
すべきほんとうのこと
そして
どうして合掌するのか
それらをシンプルにストレートに
その人の縁のあるその土地の流れの中で
皆違う、それぞれの波動の意味を
その人その人のお伝えする
人の心とはすごいもので
いつもいつも私はその流れの変わる瞬間を見させていただけます。
それまで自分が絶対と思っていた
自分の人生で見聞きし
自らが作り上げた価値観や基準が実は全てではなく、
相手の立場に立って見るという理屈をしりながら
実はそれもその価値観や基準の中でのことであると気がつき始める
その気付きの瞬間から人は視野が切り替わります
肉眼は私をみていながら
意識は心の視野でそれまで見ていたものを視ようとし始めるのです。
この時の表情は皆さん同じです。
人相が来たときとは別人になります。
そして、何をすべきか心の奥底である、霊的な感性で感じてくるので
していなかった大切なそれをしたい、という衝動がわき起こるのです。
それは希望や気力の源となります。
さて、避けられないものを避けようとするのではなく
受け入れた上で、今をどう生きるべきかに切り替えるなら
そこに活路が生まれるのも自然の流れ
すると、違う道が思わぬつながりを見せてくれる事もあり
それが救いとなる不思議もこの世にはあるものです。
例えば結果が同じでも、です。
合掌 浄霊師 神島千尋
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コメント
神島さま
さだめ、重い言葉だなと思います。
どう終わるべきかをお伝えしなければいけないと言うことはとてもお辛い事とお察し致します。
どのくらいの時間でさだめを受け入れられるのか、自分に置き換えて考えて見てもわかりません。
以前父が余命宣告をされたときの事を思い出しました。父は受け入れることが出来なくて毎日涙で過ごして居りました。当時高校生の私にはどうすることも出来なかったことを覚えています。
このお話し、父が生きて居るときに拝見出来たらきっとなにかが違っていたのかな、なんて思ってしまいました。
神島さん、有難いお話しありがとうございました
投稿: kiyo | 2014.11.15 21時59分
過去は動かせませんが
一瞬一瞬の今の繰り返しが時となり
これからどうなるか分からない先に向かって
誰もが生きているのですから^^)
これから先、例えば同じような流れが
身近で廻ったとき、
どうしたら良いかは・・・
経験している人は行動が変化するものです。
それが「生かす」ということと感じます。
こちらこそコメント
感謝しております>KIYOさま
投稿: 神島千尋 | 2014.11.17 09時43分